放映されています。帰宅して夕食のひとときに録画した番組を
楽しんでいるのですが、昨晩は帰宅時刻が遅くて、今朝は
金曜と土曜の2回分を続けて見ました。
岡崎の街から上野の音楽学校を受験して失敗したヒロインの
桜子が、家族の反対を押し切って東京のアパートに住み、食堂で
のアルバイトをしながら、桜子の素質を理解している音楽学校の
教師の西園寺先生に個人レッスンを頼んで、ピアノの練習と
食堂の仕事を両立して生活しているというようなストーリー
です。
亡き父との思い出のジャズが聞きたくて、そしてジャスに
魅せられてダンスホールに通うことを西園寺先生の門下生から
言われて、西園寺塾にふさわしくないと西園寺先生の前で責め
られる場面が金曜放送分の最後のシーン。
そして、西園寺先生はみんなをピアノのレッスン室に招いて、
即興の演奏をして、これを弾くように言うが、「楽譜がない
ので無理」とか、「もう一度弾いて欲しい」というような反応
に対して、桜子はピアノの前に座って、西園寺先生の即興演奏を
再現して、更には自分なりのアレンジを即興で演奏しました。
私自身、4月から「授業を受ける身」になっています。
当初の半月ほどは、教育学や心理学とは無縁だった私には、
教壇からしゃべったり、黒板に書かれたりする言葉自体が
わからない日々が続きました。2ヶ月近い時が経過して、
ようやく授業の内容の輪郭を掴めるようになってきました。
授業の内容を自分のモノにして、自分なりにアレンジする
には、まだ時間が掛かるかもしれませんが、でも「教育学」
の基礎の基礎の敷居を、ようやく跨いだような気がして
います。
自分自身の授業内容が、今まで生徒・学生にとって、
ひとりひとりの頭の中の片隅にでもこびりついて、それが
アレンジされて、今の学びの一助になったり、仕事に活用
できるヒントの一片になったり、或いは生活や「いきざま」の
通奏低音の方向付けに役立っているのかなあ〜と思うと、
唸ってしまいます。

今朝、アシュケナージの演奏するベートーベンの
ヘ短調のピアノソナタ、"appassionata"を久し振りに
聞きました。今朝の「純情きらり」で、桜子に思いを寄せる
同じ西園寺門下生で同郷の達彦が、桜子の即興演奏を
目の当たりにした翌朝にこのヘ短調のソナタを途中で
弾けなくなって、鍵盤上にうつ伏せてしまいました。
ベートーベンの三十代中頃の作品で、ベートーベンが
どのような想いでこの曲を書き上げたのか、私は知り
ませんし、30年前のアシュケーナージが、どんな想いで
この曲を弾いたのかも、私には想像できません。そして、
達彦がなぜ、このピアノソナタを弾こうとしたのか、
そして弾けなくなったのかも、達彦の心の中を正確には
わかりません。
「情熱」や「熱情」。どちらかというと主観的な
表現です。勉強や学習にとっては、もっと客観性が
必要なのかもしれませんが、でも生徒がのめりこむような
授業をしたい、そして情熱を持って教壇に立って授業が
したいと、心から思います。
*
"passion"を辞書で調べると情熱や熱情の他に、理性と
対比する情感、男女間の恋慕、感情の爆発というような、
どちらかと言えば過激でダイナミックな意味と共に、愛着
とか熱中というスタティックともとれるような意味もある
ようです。