2006年05月27日

「自分のモノ」にする。〜Passion 理解を巡って〜

 NHKの朝の連続テレビ小説、4月からは「純情きらり」が
放映されています。帰宅して夕食のひとときに録画した番組を
楽しんでいるのですが、昨晩は帰宅時刻が遅くて、今朝は
金曜と土曜の2回分を続けて見ました。

 岡崎の街から上野の音楽学校を受験して失敗したヒロインの
桜子が、家族の反対を押し切って東京のアパートに住み、食堂で
のアルバイトをしながら、桜子の素質を理解している音楽学校の
教師の西園寺先生に個人レッスンを頼んで、ピアノの練習と
食堂の仕事を両立して生活しているというようなストーリー
です。

 亡き父との思い出のジャズが聞きたくて、そしてジャスに
魅せられてダンスホールに通うことを西園寺先生の門下生から
言われて、西園寺塾にふさわしくないと西園寺先生の前で責め
られる場面が金曜放送分の最後のシーン。

 そして、西園寺先生はみんなをピアノのレッスン室に招いて、
即興の演奏をして、これを弾くように言うが、「楽譜がない
ので無理」とか、「もう一度弾いて欲しい」というような反応
に対して、桜子はピアノの前に座って、西園寺先生の即興演奏を
再現して、更には自分なりのアレンジを即興で演奏しました。

 私自身、4月から「授業を受ける身」になっています。
当初の半月ほどは、教育学や心理学とは無縁だった私には、
教壇からしゃべったり、黒板に書かれたりする言葉自体が
わからない日々が続きました。2ヶ月近い時が経過して、
ようやく授業の内容の輪郭を掴めるようになってきました。
授業の内容を自分のモノにして、自分なりにアレンジする
には、まだ時間が掛かるかもしれませんが、でも「教育学」
の基礎の基礎の敷居を、ようやく跨いだような気がして
います。

 自分自身の授業内容が、今まで生徒・学生にとって、
ひとりひとりの頭の中の片隅にでもこびりついて、それが
アレンジされて、今の学びの一助になったり、仕事に活用
できるヒントの一片になったり、或いは生活や「いきざま」の
通奏低音の方向付けに役立っているのかなあ〜と思うと、
唸ってしまいます。

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 今朝、アシュケナージの演奏するベートーベンの
ヘ短調のピアノソナタ、"appassionata"を久し振りに
聞きました。今朝の「純情きらり」で、桜子に思いを寄せる
同じ西園寺門下生で同郷の達彦が、桜子の即興演奏を
目の当たりにした翌朝にこのヘ短調のソナタを途中で
弾けなくなって、鍵盤上にうつ伏せてしまいました。
ベートーベンの三十代中頃の作品で、ベートーベンが
どのような想いでこの曲を書き上げたのか、私は知り
ませんし、30年前のアシュケーナージが、どんな想いで
この曲を弾いたのかも、私には想像できません。そして、
達彦がなぜ、このピアノソナタを弾こうとしたのか、
そして弾けなくなったのかも、達彦の心の中を正確には
わかりません。

 「情熱」や「熱情」。どちらかというと主観的な
表現です。勉強や学習にとっては、もっと客観性が
必要なのかもしれませんが、でも生徒がのめりこむような
授業をしたい、そして情熱を持って教壇に立って授業が
したいと、心から思います。



 "passion"を辞書で調べると情熱や熱情の他に、理性と
対比する情感、男女間の恋慕、感情の爆発というような、
どちらかと言えば過激でダイナミックな意味と共に、愛着
とか熱中というスタティックともとれるような意味もある
ようです。
posted by student at 10:55| 日記

2006年05月25日

麦・稲 〜期待〜

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 五月晴れの一日、国道175号線沿いの加東市は、
麦畑が朝日を受けて黄金色に輝いていました。

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まだ、田んぼには水が張られていませんでしたが、
田植えの時期はもうすぐのようで、苗が準備されて
いたり、苗のための案山子も、春に現役の案山子を
見たのははじめてです。


《今日の授業より》
 〜期待〜、今までにいろいろな期待をしてきましたし、今も
幾つかの期待がありますし、そしてこれからも、さまざまな
期待をすることだと思います。期待をすることも、そして期待
されることも、学びの中核をなす大切なことだと思います。

 何かを見つけたい!理屈や仕組みを知りたい!学ぶ動機は
さまざまだと思います。場合によっては、親の承認を得たい
というような動機もあるでしょうし、資格取得の為に苦しみ
ながらの学びも多いのかもしれません。

 結果を期待しながら、または学ぶこと自体の更なる面白さを
期待しながら、資格取得や卒業後の光を期待しながら・・・

 期待って、受動的に受けることも、能動的に期待することも、
夢があったり、踏み出す一歩の力になったり、素敵な言葉だと
思います。



 
posted by student at 20:28| 日記

2006年05月24日

まなざし・ものづくりの目

《今日の授業》

 ものづくりにとって、大切な要素はたくさんあると思いますが、
今日は「まなざし」ということが気になりました。アルミ線の針金
細工で、携帯電話スタンドを作る課題。事前にダイソーでアルミの
針金を仕入れて、挑戦したのですが、なんだかイマイチでした。

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 骨組みを考えたり、見た目を考えたり、便利さを考えたり・・・
結局、掌(てのひら)を基調にした携帯電話スタンドに落ち着いた
のですが、宿題の設計図がまともなモノが出来ずじまいでした。

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 授業の中で、試作品を元に作り始めたのですが、他の学生の
作品が気になります。なんだか、みんな良いのを作っているように
感じました。結局出来たのが、下の作品です。

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 他人の作品の「良さ」を盗むように見たり、作ってきた試作品を
じっと眺めたり、作りながら、完成予想のイメージとオーバーラップ
させながら手元の作品を見つめたり・・・

 ただ鑑賞するのと、自分が作るときの参考にしようとする時では
「まなざし」が決定的に違うように思いました。

 昔の職人って、親方の手元を、盗むような「まなざし」で技を
覚えたのかなあ〜と、私は今日は職人になった気分でした。

〜海の幸・鮨の増田屋〜

 平日は、嬉野の山の中で生活ですが、昨晩は、我が家の近く、
垂水の鮨屋・増田屋で海の幸を堪能しました。

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 二人で、この舟盛のお造りは、かなり贅沢でした!これ以外に
鯛のお造り、タコの揚げ物、季節の野菜の天ぷら、そしてフグの
天ぷらも・・・。私の大好きなサザエのつぼ焼きはもちろん必須です。

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 最後はもちろんお鮨です!増田屋ではマグロの赤身が美味しいです。
これからのシーズンは鯛も欠かせませんし・・・
 もう十分お腹一杯だったのですが、あれもこれもと頼んで、
ほんとうに「鱈腹」になってしまいました。










posted by student at 19:31| 日記

2006年05月21日

ものを見る目


 《一昨日のゼミより》

 M2の先輩の方々の発表があったのですが、その中で、国語の読解
問題に関しての話題がありました。長文の文章があって、それを
読んで幾つかの設問に答えるテスト形式です。

 私自身も、おぼろげに問題意識を持っていたのですが、文章全体の
文脈を通して、作者が言いたいこと、或いは長い原作の一部を抜き
取った問題制作者の意図を読み取る読解力が低くても、テクニックで
答えられる設問が多く、逆に、文章全体を読んで、全体を貫く文脈から
得られたイメージを答えさせる設問がないので、ほんとうの意味での
読解力が育たないのではないかなあ〜と感じます。

 戦略(strategy)と戦術(tactics)という言葉を使えば、
今の国語の読解問題のテスト形式では、局所的な戦術が有効であって、
全体を鳥瞰するような戦略を育むものではなく、結果として場面場面
での(語弊がありますが)小手先の技術力を問うテストになって
いるのかもしれません。

 本質を見抜く力、それは、戦術に長けることよりも戦略を見極める
力が必要な気がします。そしてそのことは、技術者育成においても
同じようなことが言えるような気がします。

〜五月晴れ〜

 5月らしい五月晴れの休日の早朝、雲ひとつない
垂水の自宅から、海岸線沿いをウォーキングして、
舞子から市境を越えて、明石・大蔵海岸まで、ちょっと
汗ばむくらいの運動量でした。

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 我が家から西へ向かって歩くと、住宅地の向こう側に
明石海峡大橋が背景にそびえる景色になります。私には
見慣れた風景ですが、でも、巨大な人工物が、住宅地の
上に覆い被さるような風景って、考えれば珍しいなあ〜
と思ってシャッターを押しました。

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 舞子の海岸には、砲台跡が残っています。幕末に勝海舟
が設置したもので、舞子と岩屋の間の狭い海峡を通過する
外国船の侵攻に備えたものだそうです。

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 大蔵海岸をウォーキングで訪れるのは久し振りで、
自転車では入り込まない所にあった銅像の周りの花が
綺麗に咲いて、朝日を浴びて良い感じでした。
背景の歩道橋は、JR朝霧駅と大蔵海岸を結ぶ歩道橋
です。
posted by student at 11:08| 日記

2006年05月19日

meta-(メタ)を巡って…

 先々週ぐらいの「あるある大辞典」で玄米食が取り上げられて
いました。圧力鍋を使わなくても、炊飯器に玄米モードがあれば
「一工夫」で美味しく玄米が炊けるとのこと。その「一工夫」とは
ヨーグルトを混ぜることだそうです。さっそく試してみました。

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 ホームベーカリーでパンを焼いたときの、あの香ばしいイーストの
香りのように、炊飯すると家中に(2階まで)香りが充満しました。
ヨーグルトの発酵の香りでしょうか?

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 もちろん白米は美味しいですが、でも玄米って味があって、リピータ
になりそうです。

《昨日の授業より》

 メタ認知やメタ情報という言葉が、最近授業で耳にする機会が増え
ました。コンピュータ・プログラムの世界ではメタ言語という言葉も
あり、ちょっと専門的な分野の勉強をする時に meta- という概念は
大切なんだなあと思いました。

 俳句って、「メタ」なんですね。芭蕉の有名な

    「古池や蛙飛びこむ水の音」

 芭蕉は、池に蛙が飛び込んで、その時に音がした事実関係を
記者のように伝えるための、発句したわけではなくて、情景を
前にした心の記述と捉えれば俳句って「メタ」ということに
なるのでしょうね。

 専門の勉強をする時に、対象のモノゴトを、のめり込むように見たり
考えたりすることは大切ですが、でも、一歩下がって客観的に見ることも
大切なように感じます。血眼になって凝視しても見えないことが、天井桟敷
に席を移すと、いろいろなモノが浮き彫りになってくることもあるかも
しれません。それは、観客を含めて舞台を見るようなもので、こういうのは
メタ観察というのでしょうか?

 宗教哲学で言われるメタ宗教という概念も、信仰にとって大切な
ことかもしれないなあ〜と、あれこれ想像を膨らませました。

 社会学的に考えると、クラスの生徒の人間関係、そして教師としての
自分自身とクラスの関係、ひとりひとりの生徒との関係、それらを
一歩下がって、冷静に見つめる「まなざし」も、教師にとって大切な
技量なのかもしれません。


 

 
posted by student at 04:34| 日記

2006年05月17日

滝・鮎・闘龍灘 針金細工

 日本で一番早く鮎漁が解禁される場所。それは播磨平野を
ゆったり流れる加古川の中流の名勝、闘龍灘です。毎年5月
1日が解禁日。闘龍灘は川底いっぱいに起伏する奇岩に阻まれた
激流が滝のように流れる様子から付けられた名前です。滝野町の
地名も、この闘龍灘が起源だと思います。闘龍灘に一番近いJR
加古川線の駅名は、「滝」、そのひとつ北の駅が「滝野」です。
 5月から秋の声が聞こえる時期まで、鮎料理が楽しめます♪
3月に滝野町は、社町、東条町と合併して加東市。つまり嬉野
とは同じ市内となるわけです。

http://www.town.takino.hyogo.jp/kankou/kakogawa.html

 今日は、午前の授業が終了後、選りすぐりの美男美女の学友
と共に鮎料理を堪能しました。

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 今シーズン初の鮎料理。揖保川上流の鮎も美味しいですが、
闘竜灘の景色を見ながらの鮎も格別でした。

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《今日の授業より》

 ものつくりの授業で、針金細工に挑戦しました。椅子風の
葉書立てが今日挑戦する作品です。ちなみに写真・右がお手本で
左が私の作品です。

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 今日は学生が7人、作品を前に記念写真です。

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 ※人物写真については、写真をクリックしても大きく
  ならないように設定しています。

posted by student at 19:55| 日記

2006年05月16日

小雨降る嬉野

 また今日も雨です。でも、若々しい青が、雨に濡れて輝いて
見えました。小雨の中、学内をデジカメを持って撮影しました。

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 今、ほんとうに躑躅が綺麗です。学内は躑躅が咲き乱れています。
昨日は日の光に輝いて、今日は朝露に濡れて、それぞれの美しさが
あります。

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 まだ、朝は肌寒いような日が続いていますが、もうすぐ、一気に
夏に向かって蒸し暑い季節になって、若々しい緑も、眩しい太陽の
光を受けて、濃い緑に変わっていくことと思います。

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《今日の授業より》

 英語という言語・言葉の歴史を学びました。大きくインド・
ヨーロッパ語族に属し、ゲルマン系の言語。この程度の知識は
ありましたが、英語・英国の歴史のおおまかな流れを、今日
はじめて知りました。

 もともとブリテン島には、ケルト語を話すブリテン人がいた
そうです。ローマ帝国がガリア地方(フランス)を支配しようと
した時に、J・シーザーもブリテン島に渡ったそうです。ガリア
地方がローマ帝国下になった時にブリテン島は属州に。その時に
ローマの支配の下にローマ化が進んだそうです。ローマ帝国の
衰退で駐留軍が撤退して、その時にドイツ北部のゲルマン人に
攻められて、ケルト語を話すブリテン人はスコットランド、
アイルランド、ウェールズに逃れたとの事。今のイングランドは
アングル(Angles)が由来だそうです。

 8世紀にはヴァイキングに攻められて、アルフレッド王が健闘
するが結局デーン人(ヴァイキング)が王になって英国を支配。
ヴァイキングの言葉である古ノルド語が、英語に大きな影響を
与えることになったそうです。日常的な言葉の大元は、この頃の
古ノルド語にルーツがあるとのことです。

 11世紀にはノルマン人(フランス)によって征服されます。
フランスの一貴族が、英国では王となって、この体勢が300年。
支配者階級がフランスの貴族で、公用語がフランス語となって
しまい、日常語は英語。支配者階級の公用語はフランス語と
なって、このことが英語の2重構造を生むことになったそうです。
抽象的な高等語彙はフランス語に近く、日常語は古ノルド語の
影響を受けたゲルマン系の言葉というような構造です。

 喪失王ジョンや100年戦争を経て、イギリスの言葉が、
やっと英語になったのが、1362年の議会の宣言が英語で
書かれたことが象徴して、その後活版印刷の普及で、今の
綴りに近い英語が出来上がってきたそうです。それまで、
方言のかたまりだった英語が、この頃に公用語となって、
ロンドンの役人が使う言葉が標準英語の幹になったとのこと。

 征服を繰り返し受けて、いろいろな言語の影響を受けた
言葉が英語だそうです。
posted by student at 20:48| 日記

2006年05月15日

日本の教育

 講義等の大教室の黒板脇の学生の連絡の書き込みが
増えていました。ネットのメールや掲示板機能等々
世の中進んでいるはずなのに、なんだか古典的な
ような気がしますが、これが確実なんでしょうか?
(絶対見ますし、デジカメで撮る私みたいのも・・・)

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《今日の授業より》

 日本の教育史を振り返ると、江戸期以前の藩校や私塾や
寺子屋の存在って、明治維新以降の近代教育にとって、
なくてはならないものなんだなあ〜と改めて感じました。

 私自身、大学の学部の授業や今現在も、すべて日本語で
高等教育を受けています。これって凄いことですね。
教科書も、これまでほとんど日本語です。
 西欧からみた新興国では、高等教育が、その国の自国語
ではなく、英語であったり、旧植民地時代の旧宗主国の
言語だったりすることがほとんどです。大きな書店に
行くと、それぞれの専門分野の専門書から一般書籍、
文庫・新書、コミックや膨大な雑誌・週刊誌至るまで、
日本語で得られる情報の量・質とも凄いと思います。

 日本語の語彙では、ぴったりこない概念や表現も
ありますが「カタカナ」という、外国語を飲み込んでしまう
摩訶不思議な文字体系も日本語にはあり、柔軟に
国外の新しい表現や概念、名詞にも対応できるわけです。

 私の今日の授業ノートを見ると、「漢字」と
「ひらがな」が多いですが、カタカナも結構ありますし、
英語のスペルそのままも幾つかあります。

 いろいろな文字記号が混在して、諸外国の学問を
日本語が吸収したんだと思うと、改めて凄いなあ〜と。
posted by student at 20:27| 日記

2006年05月13日

「わかる」〜理解を巡ってのイメージ〜

 5月になっても春らしい「五月晴れ」の日が少ないですが、
昨日は、久し振りに真っ青な空を見上げることが出来ました。

 自然・生活棟をバックに、朝の日の光を受けて若葉が輝く
学内の木と、五月晴れの空です。
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 学内では、いたるところで躑躅(つつじ)が咲き乱れています。

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 《一昨日の授業より》

 「わかる」ということ…、理解する、納得するということは、
学校教育の根幹のひとつだと思うのですが、ただ暗記して記憶
することとは、ちょっと違うのはわかるのですが、では、
ただ単に記憶するということと、理解することの質的な違いは
何でしょうか?

 暗記のように、ただ表面的に覚えた事柄って、応用が利かない
ですが、理解して覚えたことは、応用することが出来ますし、
理解したことによって、新たな疑問が生じたりします。
「わかる」って、新しい知識が増えること。今まで持っている
知識と関連付けて、他の事柄との関係も含めて、「点」として
覚えるのではなくて、関係も含めた「面」として、単なる記憶
ではなく、広がりを持った概念として記憶することなのかなあ〜と
授業を受けて感じました。

 網目を持った面というか領域として記憶することによって、
応用することが可能で、今までの知識の網目との関係を結ぶ
新しい網目を考え出したり、想像したり…。

 知識が増えて、たくさんの網目を頭の中に持っていれば、
新しい事柄に対して、捉えやすくなって、理解しやすい体制
になるのかなあ〜と、「わかる」を巡って、あれこれ想像
しています。
posted by student at 18:09| 日記

2006年05月10日

「学ぶ」ことについて

 講義等の黒板に、コンパの案内の書き込みが結構たくさん
あります。新学期当初は、もっと凄かったのですが・・・
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 先生も、黒板脇の書き込みを消すことなく授業を進めて
います。もう常習化しているようです。どうも私には
黒板脇のコンパの案内の連絡に違和感を感じてしまいます。

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《今日の話題》

 自学自習を研究テーマに考えている人と話す機会がありました。
「学ぶ」って、学校だではなくて、生活の中のさまざまな局面で
その場面に応じた学びがあっても良いように思います。珍しい
昆虫や草花があったら、図鑑で調べたり、スイカって果物?野菜?
と疑問に感じたら事典で調べたり・・・今だったらパソコンのネット
検索で、さまざまな知識を得ることが出来ます。それも自学自習
なのかもしれません。

 学校の教室で、黒板の前の先生の話を聞いて、黒板の内容を
ノートに書きながら学ぶのも、もちろん大切なことだと思うの
ですが、テレビの情報量や、ネットからの情報量が、物凄い
現実の中で、それらの情報は、もしかしたら学校の授業以上のに
子供達の知識に影響を与えているようにも感じます。

 「学ぶ」ということに、改めていろいろ考えた一日でした。



posted by student at 21:15| 日記

2006年05月09日

教育と言うこと・・・

 県道17号線の下久米の交差点、ここを南にハンドルを
きると大学へ向かう道になります。

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 交差点を曲がると、すぐに大学橋を渡ることになります。
ほんとうに短い橋ですが、それを渡ると、中国自動車道の
向こう側に大学が見えます。

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 大学構内は、今、つつじが咲き乱れいます。春本番です。

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《今日のの授業より》

 「教育って?」ということを考えました。
 教育って、生きる力の基礎であり、人として夢を持って、
夢に向かう為に心や体を育むもの。・・・確かにそうだなあ〜
と感じます。
 教育のもうひとつの側面は、基礎基本的な知識を学び、
将来、役立つ社会人を育てる人材育成。・・・これも大切な
ことだと感じます。

 豊かな心情を育むことをメインにして楽しく学ぶこと。
それと対称的に、目的を持って、それに向かって知識や
技術を習得する為に励み頑張ること。この2つが両立
できれば良いのですが、楽しく学ぶことを目指すと、
甘くなったり緩くなったり・・・。それに対して目標に
向かって習得を大切にすると、楽しさがなくなったり・・・。

 勉強が、それほど好きではない子供達に、いったい
何をすれば良いのか???
posted by student at 19:39| 日記