三田屋本店ぬくもりの郷でランチ・ステーキを堪能してきました。

運ばれてきた熱い鉄板にのったお肉。目の前で焼き具合を確認しながら
食べ頃を見計らって…、柔らかくて美味しかったです。

《一昨日の授業より》
こころについての授業がありました。心がわかる、心ない仕打ち…
心が通じる、以心伝心の状態って?と考えると、こころがわからなく
なってしまいます。
以前に社会学が専門の先生から、日本語の「悲しい」は”兼ねしい”が
転じたものだと聞いたことがあります。他者の苦しむ様子を見て、もし
その人の苦しみを私が兼ねる(分かち合う)ことが出来れば、その苦しみを
共に担う(兼ねる)ことが出来ればと切に願うが、しかし、その人の苦しみ
をほんとうの意味で理解して分かち合う(兼ねる)ことは、他人の私には
出来ない。あなたの苦しみを私が分かち合うことが出来ないこと、そのこと
が今の私には苦しいことである。「兼ねることが出来ない」、「兼ねしいが
転じて「悲しい」となったそうです。
逆にsympathyは、"sym-"と"passion"という言葉で"passion"(感情)を
重ね合わせ、響かせること。他者の喜びや悲しみを、自分の喜びや悲しみ
とすることがsympathyという言葉の持つ意味を持つ言葉だと聞いたことが
あります。
「こころ」の原点って、教育の原点でもあるのかなあ〜と感じました。