2006年08月26日

質問紙調査

 今週は、郵送による質問紙調査の準備に追われてしまいましたが、
ようやく発送まで完了しました。しばらくサイトの更新も止まって
いましたが、今日、新しくページを追加したり更新したり…

《質問紙調査》

 質問紙の作成に時間が掛かりました。約1ヶ月、色々な方々の話を
聞いて、印刷直前までいろいろ検討しました。

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 出来上がった質問紙、調査依頼文、発送用封筒、返信用封筒、
400通分です。 

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 発送用封筒の宛名と返信用封筒の切手貼り、枚数が多いので
これらも手間がかなり掛かりました。

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 袋詰めして、糊付けして、料金別納のはんこを押して…。今週は
事務作業で1週間が過ぎてしまいました。

質問紙調査のページも追加しました。(topページ)



 
posted by student at 22:31| 日記

2006年08月20日

志向性 〜「私」の原点として〜 & 大阪道中記

半月程前に買ったままだった本、浜田寿美男著『「私」とは何か』 を読み
始めました。

 志向性、何かに向かう力、何かを何かとして捉えて、それを追い求める力。
フッサールにとっての「意識」とは「なにものかへの意識」だそうです。
確かに「意識する」ということは、対象(目的)があって、その対象(目的)
への意識ではじめて生まれるわけであって、逆に言えば純粋な意味での
「意識そのもの」というのがどういうものか、ちょっと思いつかないです。

 「ある何か」を捉えて、それが「他の何もの」でもないことを識別して、
その「ある何か」を意識して、それに向かう力を持つこと、そのことこそが
志向性であり、言い換えれば「ある何か」を、私の外として識別し、意識
し、志向することであると思います。つまりウチ(内)とソト(外)を
別モノとして捉えて、外へと志向することであり、そのことこそが
「私」のはじまりだという考えに、成る程と納得しました。

 中島敦の短編「名人伝」の中の一説を思い出しました。
     既に、我と彼との別、是と非との分を知らぬ。眼は耳のごとく、
     耳は鼻のごとく、鼻は口のごとく思われる。
 
 この場合は、名人というより超人なのかもしれないなあ〜と。



 普段は神戸・垂水から播磨平野を縦断して加東まで、田園風景を眺め
ながらの毎日で、神戸の市街地へ行くことも稀になりましたが、今日は
大阪の街に出掛けました。山陽電車の垂水駅で普通電車が来たので、
とりあえず普通電車で須磨まで、

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 JR須磨駅は海水浴場のど真ん中に駅があるのですが、山陽電車の
駅は、国道を挟んで100mほど離れているので、海岸の様子は
わかりませんでした。

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 阪神電車梅田行きの特急が来て、幸い1つだけ座席が空いていたので
浜田寿美男著『「私」とは何か』 を読み始めました。

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 梅田に着いて、職場の先輩の先生が、阪神百貨店の地下のイカ焼きの
話をされていたのを思い出して、探して行ってみると、デパートの外
まで行列していましたので、食べるのを諦めました。

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 阪神デパートの地下売り場をウロウロしたので、方向を間違えて
しまって、地下鉄西梅田の駅に行ってしまいました。あわてて梅田駅に
戻って、東梅田に向かいました。この駅は、ちょっとわかりにくい駅
だったのですが、久し振りに利用すると、デカデカと表示がありました。

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 堺筋線に乗り換えて、日本橋デンデン・タウンへ。神戸近郊に郊外型の
大型電器店が乱立して、大阪・日本橋へ来るのも今年初めてです。
電子部品は神戸ではなかなか入手出来ないので、まず電子部品の専門店
を訪れました。

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 日本橋のすぐ南は新世界で、通天閣もビル越しに見えます。 

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 日本橋を歩いていると、駐車監視員が作業をしているのを始めて見たり、
メイド喫茶のメイドが歩いているのを見たり…。アニメやビデオ・DVD、
ミリタリーショップや模型の店が目立つようになっています。ちょっと
心配になって、ある店を探しましたらありました。真空管の専門店です。
日本橋では、もうここだけです。我が家のアンプの真空管も、この店で
買った球を今使っています。

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 電気街というより、趣味系の店が目立つようになったなあ〜と
2,3軒の店に入っただけで、難波に向かいました。

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 道具屋筋、いつ来ても楽しいです。

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なんばグランド花月はすごい行列です。もう満席で、チケット売り場では
立見席だけを売っていました。 

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 御堂筋線に乗って梅田へ、ウロウロして阪神の梅田駅へ行くと、駅員の
方が繰り返して今日の甲子園球場は満員で、もう入場できない旨の
アナウンスを繰り返していました。甲子園専用の自動券売機も中止に
なっていました。

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posted by student at 19:20| 日記

2006年08月19日

あれから1年

 台風接近の影響で、昨夜は、激しい通り雨があって、今朝も神戸は
かなり激しい雨が降りました。社・嬉野は、午前中は小雨が降って
いましたが、午後からは時折日が射し込み、蒸し暑い状態が続き
ました。

 今日は、大学院の入試、午前は筆記試験、午後からは口述試験
です。

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 食堂は、受験生の方々の控え室、昼食を食べていても、いつもとは
雰囲気が違いました。
 
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 共通講義棟の前に、掲示板が立って、午後からの面接試験の案内が
掲示されていました。

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 教育・言語・社会棟の入り口にも案内の張り紙がありました。でも、
教育内容・方法コースは来年度の募集がないため、昨年6階の626(?)
で受けた面接会場での口述筆記はありません。来年から立ち上がる
授業実践リーダーコースは共通講義棟で面接があったようです。
 
posted by student at 19:38| 日記

2006年08月17日

秋の暮れ

 今日は台風接近の影響で、晴れたり、激しい通り雨に遭ったり、
また晴れたりと、めまぐるしく天候が変わりました。でも蒸し暑い
一日でした。

 立秋も過ぎて、夕暮れ時になると、蒸し暑い中にも、秋の気配を
感じるような気がします。写真は、道を隔ててすぐ田んぼがある農家
です。この建物は蔵でしょうか?

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 もう5時を過ぎているのですが、まだ日は高いです。田んぼの
何処かから、かすかに虫の音が聞こえてきます。

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 夕暮れまで、あと少し。辺りはちょっと暗くなりかけていますが、
西日を受けた白い雲は、眩く光り輝いているように見えます。

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 夕暮れ時になると、夏と秋が交差するような感じがします。秋は、夕方から
忍び込むのでしょうか?

《一茶句集より》

 一茶の文化句帖補遺(文化3年〜8年)には入っている句です。


       秋の日の袖に傾けば、かへる期のせかれて、
       もと来し道をいそぐ。


    又人に かけ抜れけり 秋の暮 (文化句帖補遺)


 一茶の句に馴染み始めたのが十数年前、その頃には、この句は
それ程気になる句ではありませんでした。でも、ここ数年、この句
に重なる思いを感じるようになりました。

 教師にとっての本懐って、ひょっとしたら、この句に込められた
一茶の思いに近いモノがあるのかなあ〜と思うようになりました。
ただ、消極的・受動的な意味ではなくて積極的・能動的な意味での
アナロジーです。もちろん、この句を詠んだ頃の一茶は、孤独や
自嘲という言葉が似合うような心境だったような感じを受けますし、
この句は、その典型のようにも捉えることが出来ます。

 アイロニー(irony)を、”隘路に”と聞き間違えて、妙に納得
したとおっしゃられたのが、長く奈良女子大で教鞭をとっておられた
清水氾先生です。積極的と消極的、受動的と能動的、それぞれは
一本の直線上での逆ベクトルのようで、実は、サイクリックのような
関係なのかもしれないなあ〜とも思います。
posted by student at 21:56| 日記

2006年08月15日

教育の「ものさし」

暑い日が続いています。先週末と、今週始めに暑気払いに行ってきました。

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 垂水の鮨屋さん・増田屋です。最初に頼んだ岩牡蠣の巨大さと、
プリプリ感が凄かったです。

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 増田屋では、トロではなくて赤身を注文してしまいます。
活けダコも絶妙に美味しかったです。

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 うお仙、垂水で海の幸が楽しめるお店です。

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 炊きもの、焼きもの、天ぷら、酢のもの等々、お膳と違って、
次から次へと出てくるのは嬉しいです。

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 帰り道、垂水の東口の駅前広場で盆踊りをしていました。

 暑気払いのページを作りました。
http://itsumi.net/2006shokibarai/index.html



《教育の「ものさし」》

 ちょっと漠然としていますが、リポートをまとめたり、質問紙調査の
準備をする中で「ものさし」について考えることが多いです。

 教師にとって、教える内容に関して、ある部分はじっくり時間を掛けて
教えたり、別の内容に関しては、もっと大切な内容をしっかり教えるために
一通り説明するに留めたり、なんらかの自分なりの「ものさし」でメリハリを
つけたりしていると思います。生徒の反応から、理解やつまずきを見出す
「ものさし」も持っていると思います。

 生徒の理解を確認するために、そして成績をつけるためでもある試験も
一種の「ものさし」であり、教師が作成しています。授業の様子や提出物
等々からも成績をつけるわけですが、そこにも教師の「ものさし」がある
わけです。

 生徒も教師や、授業内容に対して「ものさし」を持っているでしょうし、
保護者も「ものさし」を持っていることと思います。

 ものさしの目盛り、使い方がそれぞれ違うでしょうし、測る内容(概念)も
「教育に関すること」であっても、そのベクトルはさまざまかもしれません。
場合によっては、正反対の「ものさし」で測っている場合もあるかもしれません。

 世の中に教育学部や教育大学がたくさんあって、塾や予備校もたくさん
あって、教育熱心で莫大なお金が教育につぎ込まれているように思う
のですが、かといって、そのお陰で、今の日本の教育が理想的かというと、
理想とは程遠いようにも感じます。

 自国語で高等教育まで受けることが出来るのは、近世・明治期以前
からの教育のインフラの影響も大きいと思います。

 「ものさし」についてアレコレ考えた時に、今の教育の通奏低音の
ようなものをしっかり浮き彫りにする「ものさし」がボヤけているのか
なあ〜とふと考えてしまいました。
posted by student at 21:10| 日記

2006年08月10日

立秋の頃 夏と秋の狭間

 リポートの作成と、質問紙調査の準備や作業に追われています。
パソコンの前に座っていることが多く、目が疲れ気味です。

 今朝、2台の故障した信号機に遭遇しました。

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 朝の早い時間で、車も少なく、何となく気配と流れが交差点に漂って
いましたが、車が増えると大変だと思います。

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 関西電力の社(やしろ)変電所です。旧道とバイパスの間の田んぼの
真ん中にあります。多分加東市一円の電気をカバーしているのではない
かと思います。

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 これは嬉野のキャンパスの受電設備です。寮の電気も、ここを経由して
いるのではにでしょうか?場所は西門のちょっと北側です。

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 お昼前の、図書館前の中庭から見た図書館上空の雲です。ちょっと
良いなあ〜と思って撮影しました。

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 神戸と加東の行き帰りに、結構、案山子(かかし)を見るようになりま
した。特に神戸市内は、結構稲穂も成長しています。

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 夕方、田んぼの真ん中で撮影していると、遠くから虫の鳴き声が聞こえて
きました。夏の暑さの中にも、秋の気配を感じる立秋の頃の一日でした。
posted by student at 20:38| 日記

2006年08月08日

理解を巡って

 今日は立秋、梅雨明けが遅かったので、まだ夏真っ最中という感じが
するのですが、暦の上では今日から秋です。ちょうど台風が近づいていて
今日の嬉野の上空の空は、目まぐるしく変わりました。

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 お昼頃の図書館前の木立です。真っ青な空と、濃い緑の葉が、真夏
そのものを感じさせてくれます。

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 図書館前から見た、言語棟の横の空の雲。真っ青な空と、真っ白の雲の
コントラストは、まさに真夏です。

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 言語棟から見た北東の空、丹波の山々の方角です。午後から、ちょっと
雲が増えてきました。

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 言語棟から見た南の空、播磨平野越しに淡路や神戸の方角です。彼方
から雲が押し寄せてくるような感じです。

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夕方近くなると、かなり雲が増えました。一面を雲が覆う一歩手前です。

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 その後しばらくすると、風も吹いて、みるみる空一面を雲が多いそうに
なりました。

《理解を巡って》

 今日は、リポート作成と、質問紙調査の準備で1日が終わりました。
今日は「理解」ばかり取り扱って、いろいろ考えさせられました。
学力を考える時に、「理解する」ということを見逃すことが出来ません。
学習者にとって、外界からの情報をもとにして、今まで知らなかった
概念を、自分のものとすること。必要なことは、新しいコンテキストを
自分の中に取り入れて、自分のコンテキストにすることなのかなあ〜と。
スキルという言葉が結構世の中で使われています。またスキーマという
言葉も、大切なことのようです。

 理解の第一歩は、コミュニケーションなのかなあ〜と漠然と感じて
います。異文化との接点も、コミュニケーションを通して、互いの異なる
コンテキストを越えて、異質のコンテキストを理解できるわけですから…

posted by student at 19:57| 日記

2006年08月06日

「狼にそだてられた子」

 昨日今日と朝から快晴で夏空が続いています。住宅地の真中ですが、
けたたましいセミの鳴き声が日の出頃から続いています。夏真っ盛りです。

 早朝に自転車で海沿いを走ってきました。

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 舞子の交差点、我が家から住宅地を抜けて、この交差点からは海沿いの
2号線沿いを走ることになります。

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 明石川の右岸から、河口越しに明石海峡大橋を眺めた風景。干潮時には
河口一帯に砂地が表われて、水鳥が休憩したり、一斉に飛び立ったり…。
ここから海岸沿いに東播磨サイクリングロードが西に延びています。
歩行者と自転車だけの道で、潮風を受けて走ると、気持ち良いです。

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 6月半ば頃から、海岸に海の家が出現。9月の中頃に撤去されるまでは、
夏の風物詩?

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 明石の港近くの、玉子焼き(明石焼き)の有名店、休日はず〜と行列が
続いているのですが、さすがに早朝の開店前は静かです。暖簾も店内。

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 きむらやの東側、相撲茶屋「振分」の前辺りのスタンドや、一杯飲み屋が
続く光景。よく通る道なんですが、写真に収めたのは初めてかもしれません。

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 大蔵海岸です。背景に、明石海峡大橋と、淡路島とタコフェリーを
入れたのですが、タコフェリーは写真を拡大して見ても、わかりにくい
かもしれません。自転車は、昨年買ったジャイアントのクロスバイク
です。

 帰宅してシャワーを浴びても、後から後から汗が流れてきました。
ようやく落ち着きました。いつもは冷房の中に居ることが多いので、今日は
扇風機だけで頑張ってみようと思っています。



《読書より》

 ゲゼル著「狼にそだてられた子」の翻訳本を図書館で借りて読みました。
発達心理学の授業を受ける中で、興味を持って手にとったのですが、
「人」が人であるということ、「人」が「人」として成長すること…。

 教師をしながら、いままで教育学をちゃんと学ぶ機会がなく、この4月から
教育学の学びの中にあるのですが、教育方法や、生徒や教師の心理、
教育の歴史等々の授業ももちろん面白いですが、その根底に流れる「ひと」
に関することを巡る授業は、大変興味深く聞いています。浜田先生の
「私」を巡っての著作も、溜まっているリポートの目処がついたら、早速
読み始めたいと思っています。
posted by student at 10:21| 日記

2006年08月04日

素朴概念

 今日、大学の書店で買いました。浜田寿美男著『「私」とは何か』 です。

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 大学の書店は「丸善」です。かつては神戸・元町にありましたし
姫路にもありました。大丸前の日東館も震災後はそのまま。垂水に
日東館が残っていましたが、ここも閉店してしまいました。

 元町の海文堂、三宮のジュンク堂、紀伊国屋、福家。よく行く本屋
です。


《今週の授業より》

 生活体験の中で納得して反映したものである素朴概念は、それが
間違った概念であったとしても、ひじょうに納得した概念である故に
なかなか転換することが出来ない。
 素朴概念(思い込み)を転換するためには、しっかりとしたメタ認知
能力が必要で、当事者にとっては、それこそコペルニクス的な転換と
なる場合も多いと思う。
 教育の現場の中で、素朴概念からの転換を学習の中心に据えようと
思うと、生徒が素朴概念に対して「つまずき」を感じ、そこから脱却
して、新しいストーリー(概念)の中に身を置くという、そういうことに
対して畏怖の念を持つ必要があるように思う。

 
posted by student at 19:35| 日記

2006年08月03日

教育評価

 梅雨明けから数日経過しましたが、不安定な天候の毎日でした。
今日は朝から晴れ。ようやく夏という感じの1日でした。

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 共通講義棟西側の辺りです。入学式の時に写真を撮ってから、結構
このアングルの写真は多いです。

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 《集中講義》

 一昨日・昨日と集中講義、テーマは「教育評価」でした。

 今までに、「人が人を評価して、成績をつけるって怖い。」というような
言い回しを聞いたことがあります。学校の成績に対して、ネガティブな
思いを感じている人も少なくないのかもしれません。

 授業の中で先生は、「教育評価は、人を評価するものであっては
ならない。学校における『教育活動』を評価するものだ。」

 続いて「教育評価は、教えたこと以外のことを評価してはならない。
教育した内容で、その結果を評価するべきである。」とも…。

 教育評価は、生徒の性格判断であってはならず、もし落ち着きがない
子供に対して「落ち着きがない」という評価をすることは、それは教育評価で
はないとのこと。落ち着きがない生徒に対して指導した上で、結果として
「根気強い」と評価するのが教育評価であると。

 …確かにそうだなあ〜と納得しました。もちろん、教師として生徒の
性格をアレコレ考えたり、分析したりすることは大切なことだと思い
ますが、それは生徒のキャラクターであり、教育の結果ではないという
こと。その辺りの混同って、結構多いのかもしれません。

 「学力」という言葉が、日本独特なものであることも、この授業を
通して知りました。江戸期までは「ガクリキ」で、論語などを読む力
というような意味であったとのこと。戦前の教育辞典には「学力」という
項目さえなかったそうです。

 学力とは「学問の能力」で、「ある内容を身につけた内容」という
捉え方がもっとも適しているという話に、そういう見方をしていなかった
ので「なるほど」と感じました。

 学力とは、教育目標(Objectives)であり、別の言い方をすれば到達点
(academic achievement)であり、「内容」(何を教えるか)と「能力」
(それを身につけたと時にどうなれば良いか)の2つの側面を持っている。
これは、今の私の問題意識と重なってひじょうに納得しました。

 この話の最後に先生が言われた次の言葉が大変印象的でした。

「授業等の教育活動を通して、その結果として到達できなかった(学力が
つかなかった)時に、どのように回復(recovery)するか、そこに教育が
ある。」



 最後に集中講義を受けたのは平成5年でした。慶応義塾大学文学部の
通信制課程に学士入学して、神戸に越すまで4年間夏季スクーリングを
受けていました。当時は埼玉の三郷に住んでいて、横浜の日吉校舎と
東京の三田校舎までの通学も大変でした。三郷から東横線の日吉まで
片道3時間近く掛かっていました。武蔵野線、千代田線(常磐線)、
日比谷線、そして東横線。文庫本が1冊読めました。

 泉鏡花の作品の魅力に出会ったのも、社会学の視点でモノを見るように
なったのも、そして倫理学の根底に流れるものを学んだのも、夏の暑い
時期の夏季スクーリングの集中講義でした。私にとっての夏の想い出の
ひとつのシーンが、汗とセミの鳴き声の中での静粛な授業です。

 今年の夏も、あと2つの集中講義があります。
posted by student at 20:00| 日記

2006年08月01日

言語能力・「モノの見方」と「モノの考え方」

 夏の雲は、ずっと眺めていても飽きません。図書館と言語棟の間から
ムクムク成長した入道雲。

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 言語棟5階からの北側の風景。障害物がないので、雲のダイナミックな
姿形の変化を、目の当りに見ることが出来て、ぼ〜と眺めてしまいます。

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 帰り道、嬉野の台地から、丹波の山々の上に広がる入道雲。夕方で
上空の雲だけに西日が当たっています。

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《授業より》

 「モノの見方」と「モノの考え方」、これが理解や習得の鍵となり、
確かな学力の根本となる大切な要素。
 「モノの見方」とは、物事や現象をしっかりと見る観察力と、モノゴトの
本質を見抜く力。見るということは、分析したり解析したり出来る能力
をも含めて、「わかる」ということなのかもしれません。
 「モノの考え方」とは、自分の知識や記憶から、自分なりの筋道を立てて
それを表現出来ること。構成したり、表現を工夫したり、創造したり、
そして想像することも…。あれこれイメージしたり、頭に浮かべることも
「考える」範疇ではないでしょうか?

 「モノの見方」、「モノの考え方」は、読む力であり、書く力であり、
そのことは言語能力そのものとも言えます。

 言葉って、モノを指し示したり、行動を表現したり、要求したり、
自分の悲しみや喜びを表現したり、或いは抽象的な概念をつくり出したり…

 言葉を操ることが、学びの基礎なんだろうなあと思いました。
posted by student at 21:27| 日記