2006年09月26日

曼珠沙華 (マンジュシャカ) 彼岸花

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 この週末、天気が良かったこともあって、結構稲刈りが
終わった田んぼを多く見掛けます。

 稲刈りが終わった田んぼの土手に沿って、秋の日を受けて
真っ赤に輝く花・・・曼珠沙華が今日はひときわ目立って、
何度も車を停めて写真を撮ってしまいました。

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 多分、数日前から咲いていたことと思いますが、稲刈りが
終わって、目立つようになったこともあるんでしょうね。

曼珠沙華の花言葉 : 「悲しき思い出」

仏教で「天空の花」と言う意味で おめでたい事がおこる
兆しに紅い花が 天から降りてくると言われているそうです。

 実は、曼珠沙華の花言葉にはいろいろあって
「他熱」「独立」「再会」「あきらめ」

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 この花は墓場で見掛けることも多く、古くから余り良い
イメージの花とはされなかったようです。でも秋の彼岸の
時期に色鮮やかに密集して咲く曼珠沙華は、私には秋を
感じさせてくれる花です。

p.s. デジカメの写真をブログに貼り付けると、今までは
写真をクリックすると、どうも綺麗ではなかったのですが
違うソフトでサイズを変更すると結構、綺麗です。
今までのが有料ソフト、今回はフリー(無料)ソフトです。
posted by student at 19:12| 日記

2006年09月19日

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 また雲の写真です。毎日片道1時間以上、播磨平野を
縦断するように運転していると、周りの景色や、空模様
が目に入ります。都会の中を通勤電車で通っていると
電車の車窓からの風景を見ることはありませんが、
今の播磨平野は、稲穂が重く垂れたり、刈り入れが
終わったり、田んぼの風景も日々変わりますし、空を
見上げれば雲の移り変わりも見飽きませんし、行き帰りに
車を停めて、写真を撮ることがおおくなりました。特に
朝は、何度も車を停めたりしています。

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 今朝は空が雲に覆われていましたが、夕方には眩しい
ばかりの青空が現われました。雲も夏のような入道雲。
でも違うのは風が涼しくなりました。
帰りは車のエアコンを つけることなく、窓を開けて…。
posted by student at 19:08| 日記

2006年09月18日

秋の気配

 台風一過で、今日はエアコンのお世話になりました。
でも普段の風景や気配は、日毎に秋っぽくなっています。
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 この写真は、播磨平野の西の山の端に沈む夕日です。
一ヶ月前だと、同じような夕日を見ると暑苦しさが倍増
していたのですが、今は、夕日が播磨平野を真っ赤に
染める時間には、涼しい風が吹いて虫の音も聞こえて
きます。
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 この写真は、播磨平野の東の端から姿を見せた
朝日です。うろこ雲をよく見るようになりました。
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 この写真は、神戸の神出の田んぼです。背景に見える
山が、雄岡山(おっこさん)と雌岡山(めっこさん)
です。

 国道175号線を経由していたのですが、ここ数日、
山間の県道を通って、秋の気配を肌で感じるように
しています。
posted by student at 20:22| 日記

2006年09月13日

モノの見方、人の生き方

 コンパクトタイプのデジカメのレンズの前に、ビデオカメラ用の
魚眼レンズを置くと、広角の、かなり広がった写真を撮ることが」
出来ます。これはほんとうの魚眼レンズではなくてセミフィッシュ
アイタイプですが、それでも、キョロキョロと目を動かして辺りを
見渡す範囲ぐらいはカバーしています。


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〜画像をクリックすると拡大します。〜

 カメラの売り文句として、10倍ズームとか、遠くのものを
しっかりと捉える性能が強調されていますが、私は"望遠”よりも
"広角”が好きで、10倍とかの大きな数字ではなくて、0.6倍とか、
0.3倍…。ちなみに、この魚眼レンズは0.3倍相当です。

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〜画像をクリックすると拡大します。〜

 モノゴトを見るときに、見る方向や角度(ベクトルやアングル)
も大切ですが、実は見る範囲(スコープ)も大切だと思います。
対象そのものを凝視することも大切ならば、その対象の置かれて
いる環境も含めてマクロに見ることも、また忘れてはならない
ように感じます。



 今日、9月13日は、明治天皇の大葬があった日です。
(大正元年1912年)そして、その日は、乃木大将が、妻・静子と
共に殉死した日でもあります。

 漱石は、小説「こころ」を通して、乃木大将の死を語って
います。


「私は殉死という言葉をほとんど忘れていました。
平生使う必要のない字だから、記憶の底に沈んだまま、
腐れかけていたものと見えます。妻の笑談を聞いて
始めてそれを思い出した時、私は妻に向ってもし自分が
殉死するならば、明治の精神に殉死するつもりだと
答えました。私の答えも無論笑談に過ぎなかったの
ですが、私はその時何だか古い不要な言葉に新しい
意義を盛り得たような心持がしたのです。

 それから約一カ月ほど経ちました。御大葬の夜
私はいつもの通り書斎に坐って、相図の号砲を聞き
ました。私にはそれが明治が永久に去った報知のごとく
聞こえました。後で考えると、それが乃木大将の永久に
去った報知にもなっていたのです。私は号外を手に
して、思わず妻に殉死だ殉死だといいました。

 私は新聞で乃木大将の死ぬ前に書き残して行った
ものを読みました。西南戦争の時敵に旗をられて以来、
申し訳のために死のう死のうと思って、つい今日まで
生きていたという意味の句を見た時、私は思わず指を
折って、乃木さんが死ぬ覚悟をしながら生きながらえ
て来た年月を勘定して見ました。西南戦争は明治十年
ですから、明治四十五年までには三十五年の距離が
あります。乃木さんはこの三十五年の間死のう死のうと
思って、死ぬ機会を待っていたらしいのです。私は
そういう人に取って、生きていた三十五年が苦しいか、
また刀を腹へ突き立てた一刹那が苦しいか、どっちが
苦しいだろうと考えました。

 それから二、三日して、私はとうとう自殺する
決心をしたのです。私に乃木さんの死んだ理由が
よく解らないように、あなたにも私の自殺する訳が
明らかに呑み込めないかも知れませんが、もしそうだと
すると、それは時勢の推移から来る人間の相違だから
仕方がありません。あるいは箇人のもって生れた
性格の相違といった方が確かかも知れません。私は
私のできる限りこの不可思議な私というものを、
あなたに解らせるように、今までの叙述で己れを
尽したつもりです。

 私は妻を残して行きます。私がいなくなっても
妻に衣食住の心配がないのは仕合せです。私は妻に
残酷な驚怖を与える事を好みません。私は妻に
血の色を見せないで死ぬつもりです。妻の知らない
間に、こっそりこの世からいなくなるようにします。
私は死んだ後で、妻から頓死したと思われたいの
です。気が狂ったと思われても満足なのです。

      「こころ」夏目漱石 青空文庫より
                   http://www.aozora.gr.jp/




posted by student at 18:27| 日記

2006年09月12日

蘖(ひこばえ) 〜生きる力〜

 黄金色に輝く田んぼが増えてきました。そして、稲刈りも始まっています。
刈り入れが終わって数日経った田んぼ一面に蘖(ひこばえ)が…。神戸の
伊川沿いの田んぼです。

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 今から、こんなに成長すれば、穂が出て、寒さが厳しくなって枯れるまでに
実がつくかもしれません。もちろん手入れをしませんので、鳥の餌になる
程度です。

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 我が家の、日当たりの悪い小さな庭は、土も悪いのかもしれませんが、
草花の苗を買ってきて植えても、枯れてしまうことがあります。でも稲刈り
後の田んぼの切り株は、もちろん土の中にしっかり根を張っているわけ
ですから、生命力は残っているわけです。

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 ひこばえの生命力を間近に見ながら、教育の世界での「生きる力」とか
「人間力」という言葉が多く使われるようになったなあ〜と、頭に浮かび
ました。

 我が家の庭のように、ていねいに苗を植えて、朝夕手入れしても枯れて
しまうことがありますが、稲刈り後の放置された田んぼで、すくすくと
ひこばえが育つ生命力の凄さと、教育の世界で言われる「生きる力」や
「人間力」が、どうもオーバーラップしてしまいます。

 違いは…、根っこでしょうか? 教育の世界では、基礎力、基礎学力、
基礎体力、人間力というようなものが根っこになるのかなあ〜と。

posted by student at 21:03| 日記

2006年09月07日

豊饒・豊かさ…

 大学に向かう途中で、ラジオ体操に向かう子供達と
すれ違ったり、車のラジオから巡回ラジオ体操の番組が
流れてきたのが1週間前までの朝の光景。9月になって、
自転車で通学する中学生や高校生を見掛けるようになり
ました。今週の月曜までは残暑厳しかったですが、火曜
から急に秋めいてきたように思います。就寝時にエアコン
の必要がなくなりました。

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 大国から嬉野台に入った時に目にする光景です。
まだまだ青いです。

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 下久米の集落の辺りの田んぼでは、穂が、実りの重さで
垂れている稲を見掛けるようになりました。
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 田植えが早かった神戸・伊川沿いの田んぼです。実りの重さと
雨の重さとで、かなり穂が垂れています。

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 案山子、こういうタイプの案山子をよく見掛けるように
なりました。

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 案山子の3人姉妹です。

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 神戸・伊川沿いの田んぼは稲刈りが始まっています。
一昨日の夕方、帰路で稲刈りをしているのを車窓から横目で
見ました。

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 昨日と今日が大雨だったので、稲刈りが中断したまま
なのかもしれません。

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 ポンプの設備のお陰で、稲作は随分楽になったことと
思います。田園風景の中で写真を撮っていると、どこから
ともなく、モータの回転音が聞こえてくることがありますが、
春から夏にかけて、稲作の縁の下の力持ちとして活躍していた
ことと思います。



 入学してからちょうど5ヶ月が過ぎました。雑草が生い
茂っていた田んぼが耕されて、それから水が張られて、
田植え。梅雨を挟んで苗がスクスク育って、セミが鳴き始める
頃には穂に実りがつき始め、夕方に虫の音が聞こえ始める頃には、
実りの重さで穂がおじきするようになって…。通学の車窓から、
そんな光景を眺めた5ヶ月でもありました。

 今、黄金色に彩り始めた田んぼを眺めていると、
「豊かさ」を感じます。それは安心感につながるような思い
でもあります。

 教育の世界では「豊かな心」という言い回しを良く目に
したり、耳にすることが多くなりました。豊かな心、
豊かな人間性…

 豊かって、いったい何なんでしょうか?ありあまるモノで
溢れることを目指した教育ではないでしょうし、わかったようで、
考えるとよくわからなくなることがあります。

 秋の田んぼを見て安心したり、丘々が夕日で真っ赤に
照らされる光景を見て美しいと感じたり、夜空の星を見上げて
永遠を感じたり…

 神戸から加東までの田園風景を車窓から眺めながら、
”豊饒”を感じる季節になりました。
posted by student at 20:37| 日記

2006年09月06日

質問紙調査のデータ処理

 8月24日、25日に、郵送による質問紙調査、「工業高校に
おける電気の基礎分野の授業に関する調査」の発送が完了し、
1週間して回答が返信されてきました。409通送って、今日
現在で95通の回答を頂きました。予想以上の回収率です。
質問項目が165項目と自由記入欄があるので、回収率が
20%前後かなあ〜と思っていたのですが、締め切りまで
2週間以上あるので、150通ぐらい戻ってくるかなあ〜と、
ちょっと期待しています。

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 回答の締め切りを9月22日にしていたので、発送完了後、
ちょっとゆったりして、回答のデータ入力や処理の方略の検討や
準備をしていなかったので、一昨日、昨日と慌ててデータ入力用の
ワークシートを作成し、返信されてきた封筒の開封と回答の
チェックをしました。

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 そして今日の午後から回答をコンピュータ入力する作業に
入りました。質問項目が多いので、もちろん質問紙に回答された
方々の負荷は、かなり大きかったと思いますが、データ入力と
処理が大変だと思います。しばらくは、入力作業に明け暮れる
のかなあ〜と覚悟しています。

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 回答を頂いて、いろいろ指摘されたこともありました。私に
とってはじめての質問紙調査で、準備不足も多かったですが、
質問項目のうち2つが無効であったのは、もう取り返しが
つきません。何度もチェックをして、いろいろな方々に目を
通して頂いたのですが、修正や追加の段階で、しっかり目が
届かず、印刷前に、もう一度最終チェックを入念にすべきでした。

 自由記入欄に、たくさん書いていただけると、ほんとうに
嬉しいです。1通ですが、別紙にワープロ打ちした意見を添付して
頂いた方もいらっしゃいました。
posted by student at 21:11| 日記

2006年09月03日

備中高梁

 9月1日に備中・高梁(岡山県)へ行ってきました。

 備中を流れて倉敷へ至る高梁川沿いの城下町で、
天守閣が現存する日本で一番高い場所にある備中松山城の
城下町です。

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備中松山城は、日本三大山城のひとつで、天守閣が現存するお城は
全国に12城あるそうです。

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 ちなみに高梁の町は全国にある25の小京都のひとつで、
美観地区の紺屋川沿いの風景は、日本の道100選に選ばれて
います。

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 古い町並みがある美観地区は、南北500m東西200m程
の範囲ですが、その古い町並みを取り囲むようにして、
高校が2つ、短大が1つ、大学が1つあり、ちょっと離れた
高梁駅の近くにも高校があります。紺屋川沿いには、藩校の
有終館跡に幼稚園があり、学校が多いなあ〜という印象を
受けました。

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 山田方谷(ほうこく)という幕末の学者の名前が、いろいろな
資料やパンフレットに表れますが、有名な学者のようです。

 松山藩の藩政改革に取り組み、10万両の負債を8年間で
10万両の蓄財にしたそうです。明治に入って閉校していた
閑谷学校を、閑谷精舎として再開させたそうで、門人には
二松学舎の創立者である三島中洲や、川田甕江(おうこう)、
そして新島襄にも多大な影響を与えたようです。ちなみに
川田甕江の玄孫(孫の孫)のひとりが、元歌手の佐良直美さん
だそうです。
 
 かつての城下町、そして今は、閑静な学問の街という感じです。

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 でも神戸からは3時間弱、ちょっと日帰りでは遠かったです。

備中高梁の「お出掛け記」をまとめてページとしてアップしました。
http://itsumi.net/2006takahashi/




posted by student at 15:07| 日記