キャンパス内でも、あまりご縁がない場所がまだまだ多いです。
この写真の場所、事務局のエントランスです。2階にあり、1階は
時々利用するのですが、ここに足を踏み入れることはほとんどないです。

正月を過ぎて、厳しい寒さが続く時期になりました。日の出前の嬉野台
周辺は、朝靄に包まれたり、周りの田んぼは霜で覆われて白く見えたり、
ちょっと幻想的な光景が広がります。

日の出から時間が過ぎると、冬型の快晴の青空が広がります。

1月の嬉野 北播磨のページを新たに追加しました。
http://education.citykobe.jp/ また、地元の舞子と関空のページも新たに追加しました。
http://itsumi.net/*
水曜日には、午前中が心理学の授業、午後が社会学の授業を受講
しているのですが、今は、両方の授業で「集団」をテーマにしています。
心理学では、ルールや社会通念に対しての集団規範や場の雰囲気という
ようなもの、社会学では、国家等の公権力に対しての市民社会を扱って
います。フォーマルに対して、インフォーマルな集団の存在が、むしろ
影響力が大きかったり、思い入れが強かったりすることがあります。
アンシュルス(Anschluß)という言葉があります。接続するとか合併する
というような言葉なのですが、ナチス・ドイツによるオーストリア合邦
(1938年3月13日)を指し示す言葉として、意図しない合併や強制力のある
集団というようなニュアンスの言葉として、association(共同体、連合)
の対概念のような位置づけの言葉だそうです。
自発的な仲間やグループというのは、associationとしてスタートして
そのつもりでいても、内的な絆が強いと、仲間やグループとしての結束力や
団結力は強くなると思うのですが、でも、実質的にアンシュルスの様相を
示している場合も少なくないような気がします。暗黙の了解、内的な価値観
の統一性…。居心地が良くて、仲間やグループが居場所で在り続ければ
良いのですが、個と集団のベクトルに乖離が生じた時には、暗黙の了解や
内的な価値観の統一性が、公権力のルール以上の拘束力を感じるように
なる場合もあるように思います。
“君子の交わりは淡きこと水の如し”この言葉を思い出してネットで
検索すると如水会という一橋大学の同窓会がヒットされました。その中で
面白い言葉がありました。トヨタ自動車会長 奥田 碩理事長の年頭の
あいさつからの引用です。
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如水会の名の由来は、改めて申し上げるまでもなく「君子の交わりは
淡きこと水の如し」ということばでありますが、新年は、「年賀状の
やりとりだけ」という「淡き交わり」を再確認する時期でもあります。
転職に関するアメリカの社会学研究では、日常的に交際している
「強いつながり」ではなく、普段の交際はないが、新しい情報を
もたらしてくれる「弱いつながり」のネットワークを広く持っている人が、
転職に成功するという結果が出ております。如水会の「淡き交わり」とは、
まさにこのようなものでありましょう。
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人と人のつながりが薄くなったとよく言われます。しかし、ともすれば
「なれあい」「もたれあい」になりがちだった「甘き交わり」ではなく、
ふだんは互いに干渉はしないが、必要なときには助け合うことができる
という「淡き交わり」を、新たな社会連帯のかたちとして再構築していく
ことも、もう一つの大切な「構造改革」なのかも知れません。
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2002年1月1日 奥田 碩理事長(トヨタ自動車会長)の年頭のあいさつから
posted by student at 11:04|
日記