2007年01月31日

朝の光景 〜黄金色のベールに覆われた田んぼ

 今朝は、春のような感じの朝でした。4月上旬並の
気温だとニュースが報じていました。
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 ちょっと靄っとした感じもあって、朝の風景が綺麗で
したので、昨日に続いて、学園道路・嬉野台の朝の光景です。

 一枚目の写真は、三草辺りです。遠く山沿いの谷間が
靄っとして、白いスモッグで覆われているようです。
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 2枚目は、昨日の写真の西側です。朝日に向かって
運転しているような感じで、ちょっと気分爽快です♪
(写真が暗めなので、クリックで拡大して見て下さい。) 
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 3枚目は、大学正門前の田んぼ(東側)がベールに覆われた
ように靄が漂って、それに朝日が射し込んで、田んぼが黄金色に
輝いているように見えました。かなり幻想的な光景でした。
posted by student at 16:30| 日記

2007年01月30日

落葉樹 〜朝日

 今日の国道沿いの気温計はマイナス2℃でした。三木と
小野の峠を越えると田んぼは霜で真っ白です。対抗して南に
向かう車の中には“霜降り車”が結構まじっていました。
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 1枚目の写真は、昨日の昼間、高室池のジムの駐車場から見た
落葉樹の小高い山と落葉樹です。木の幹と枝が、魚の骨のよう
です。
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 2枚目と3枚目の写真は、学園道路、屋台村の近くでの
今朝の日の出直後の写真。ちょうど朝日に向かって車を
走らせるような感じで、雑木林越しの朝日が、なんだか
美しかったです。
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 生活の中で見る光景でしかないですが、でも、良いなあ〜と
感動することが多いです。
posted by student at 16:22| 日記

2007年01月29日

マイナス4℃

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 国道175号線に設置された気温計の表示が、三木市で
マイナス4℃でした。赤い「凍結」の表示が連続点灯。
この冬に見た、この気温計の最低温度です。明石海峡に
面した我が家と、播磨平野の北部・加東市とでは、かなり
気温差があるようです。
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 夜明け前の自宅を出る時には、手がかじかんだりしな
かったのですが、大学の正門前の田んぼの横に車を停めて、
車を降りて数分間写真を撮っただけで、手がかじかんで
しまいました。
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 晩秋からお正月頃には、濃いスモッグ状の朝靄に
よく遭遇したのですが、ここしばらくお目に掛かって
いません。暖冬で、昼の陽の光を受けていると春先の
ような錯覚に陥りますが、でも今・この時期の夜明け
前は氷点下の世界で霧や靄も発生しないのかなあ〜と
思っています。
posted by student at 16:17| 日記

2007年01月25日

この冬、使わないもの・

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 毎朝、車の中で聴くラジオから「今日は何の日」という
小さな番組のコーナがあって、歴史をさかのぼって1月25日に
起こった事件等々を教えてくれます。

 今日1月25日は「日本最低気温の日」だそうです。1902年
(明治35)年、北海道旭川市で、日本の最低気温の公式記録の
-41.0℃を記録したそうです。(非公式には、昭和53年2月17日
に幌加内町母子里の北大演習林での-41.2℃があるそうです。)

 次の天気予報のコーナでも、この話に触れて、今日の旭川の
気温はー7℃だそうで、平年のー13℃に比べて高めだとのこと。
・・・世界が違うなあ〜と思いながら、でも暖冬には間違いない
ようです。

 今日の国道175号線、三木の気温計が1℃でした。正月明けの
寒波の時でー3℃、今1月下旬の真冬真っ最中だと考えると、
気温は高めなんでしょうね。田んぼにもあぜ道にも、、霜は
なく、穏やかな冬の朝の風景♪

 この冬、「貼るカイロ」のお世話になっていません。寒い
時もあったのですが、昨年の残りで間に合って、それ以降
必要ないので、今シーズンはまだ買っていません。いつも
なら、靴用とか、ポケット用、貼る用とか、カバンに入れて
いたのですが・・・



 それ以外で1月25日は

 菅原道真が醍醐天皇によって九州の大宰府に左遷された
日です。「東風吹かば匂ひ送来せよ梅の花 主無しとて
春な忘れそ」と詠んで901(延喜元)年1月25日に都を
旅立ったそうです。

 「カノッサの屈辱」も1077年の今日・1月25日だ
そうです。神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世が、教皇
グレゴリウス7世に、破門を解いてもらう為に北イタリア・
カノッサ城を訪れたが赦してもらえず、1月25日から3日間、
雪の中で裸足になって粗末な修道衣だけの姿で城の前に
立ち続けて赦しを乞うたそうです。
posted by student at 16:14| 日記

2007年01月21日

納豆 & 「涼しい」「温かい」後日談

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昨晩、お腹が空いて夜食を求めて行った近くの
ミニ・コープで納豆見つけて、久し振りに納豆を
食べました。夜食にラーメンのつもりが、納豆を・・・!?

 ここ数日、納豆を食べていませんでした。
最近、納豆を見ないなあ〜と思って、改めて思えば
1週間以上だったかなあ〜とミニ・コープの納豆の
商品棚の前で、久し振りの再開に、ちょっと感動!?

 商品棚の下に張り紙があって、「報道にあるように
品薄状態で、入荷がなかった」というようなことが
書いていました。不二家のニュースは知っていましたが
納豆もなんかあったのかなあ〜と思って、帰宅後
ネットで調べて始めて、あるある効果であったことを
知りました。

 2年ぐらい前に、コエンザイムの時に、放送を見て
次の日に薬局に行ったことがあって、その後数ヶ月
入手困難でしたが、納豆もそうなるのでしょうか・!?

 ここ半年ほど、毎朝のように納豆を食べていたの
ですが、そのお陰かどうか、この冬はまだ風邪とは
無縁で、食事やアルコールの量の割には体重もまあまあで、
効果があったのかもしれません。



涼しいと暖かい・・・

 いろいろ人に聞いたり、調べたりしたのですが、
さまざまな説がありました。でも、私なりに何となく
納得できるニュアンスの「答え」を見つけました。

温度の低い順に

寒い < 涼しい < 暖かい < 暑い

と、おぼろげに思っていたのですが、そうではないようで
「寒い」と「暑い」は気温が低い時と高い時に使う
表現ですが、「涼しい」と「暖かい」は、もうちょっと
感覚的なニュアンスを持った言葉のようです。

気温が低い(寒い)時から、気温が上がった時に使う
表現が「暖かい」で、同じように気温が高い(暑い)
時から、気温が下がった時に使う表現が「涼しい」と
いう使い方が、もっとも適切かなあ〜と感じます。

 気温が低い(寒い)冬に、気温が上がったから
といって「涼しくなった」とは言いませんし、同じように
気温が高い(暑い)夏に、気温が下がったから
といって「暖かくなった」とは言わないですね。

 気温そのものを表現するのが「寒い」と「暑い」、
気温の変化を表すのが「涼しい」と「暖かい」。
「涼しい」と言われてイメージするのは、暑い時や
暑い場所で、気温が低くなった場面ですし、
「暖かい」と言われてイメージするのは、寒い時や
寒い場所で、気温が高くなった場面だなあ〜と、
私なりに納得しました。

 言葉って難しいですが、使い分けると、微妙な
感じを伝えることが出来るんだなあと、ちょっと
頭が良くなった気分です!
posted by student at 16:10| 日記

2007年01月18日

霧 〜「寒さが緩む」≠「涼しい」?〜

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 昨日は雨で今朝は曇り空の為、朝方に冷え込むこともなく、
冬型の気圧配置でもないので、「寒さが緩んだ」朝でした。

 明石海峡を望む神戸市の垂水から、播磨平野の北部加東市
まで通っているのですが、三木から小野に入ると、急に
霧に包まれて真っ白な世界が広がったり、加東市に入った
辺りから霧に包まれたりした経験はあるのですが、今朝は
神戸の神出辺りで、霧に包まれました。結局自宅からずっと
ヘッドランプを点けっぱなしでした。

 まだ、もや〜としています。

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〜今朝の疑問〜

 そんなに寒くはない冬の日を「今日は涼しい」とは
言わないですね。涼しいというのは、なんだか夏とか
秋に使う言葉で、春や冬には使わないなあ〜と。
この日記を書きながら「寒さが緩む」って「涼しい」
というわけではないなあ〜と。

 逆に暖かいって、夏とか秋には使わないですね。

 ・・・ちょっと屁理屈っぽくなってしまいました。


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posted by student at 16:01| 日記

2007年01月14日

グループ、集団

 キャンパス内でも、あまりご縁がない場所がまだまだ多いです。
この写真の場所、事務局のエントランスです。2階にあり、1階は
時々利用するのですが、ここに足を踏み入れることはほとんどないです。

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 正月を過ぎて、厳しい寒さが続く時期になりました。日の出前の嬉野台
周辺は、朝靄に包まれたり、周りの田んぼは霜で覆われて白く見えたり、
ちょっと幻想的な光景が広がります。

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 日の出から時間が過ぎると、冬型の快晴の青空が広がります。

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 1月の嬉野 北播磨のページを新たに追加しました。
http://education.citykobe.jp/

 また、地元の舞子と関空のページも新たに追加しました。
http://itsumi.net/



 水曜日には、午前中が心理学の授業、午後が社会学の授業を受講
しているのですが、今は、両方の授業で「集団」をテーマにしています。
心理学では、ルールや社会通念に対しての集団規範や場の雰囲気という
ようなもの、社会学では、国家等の公権力に対しての市民社会を扱って
います。フォーマルに対して、インフォーマルな集団の存在が、むしろ
影響力が大きかったり、思い入れが強かったりすることがあります。

 アンシュルス(Anschluß)という言葉があります。接続するとか合併する
というような言葉なのですが、ナチス・ドイツによるオーストリア合邦
(1938年3月13日)を指し示す言葉として、意図しない合併や強制力のある
集団というようなニュアンスの言葉として、association(共同体、連合)
の対概念のような位置づけの言葉だそうです。

 自発的な仲間やグループというのは、associationとしてスタートして
そのつもりでいても、内的な絆が強いと、仲間やグループとしての結束力や
団結力は強くなると思うのですが、でも、実質的にアンシュルスの様相を
示している場合も少なくないような気がします。暗黙の了解、内的な価値観
の統一性…。居心地が良くて、仲間やグループが居場所で在り続ければ
良いのですが、個と集団のベクトルに乖離が生じた時には、暗黙の了解や
内的な価値観の統一性が、公権力のルール以上の拘束力を感じるように
なる場合もあるように思います。

 “君子の交わりは淡きこと水の如し”この言葉を思い出してネットで
検索すると如水会という一橋大学の同窓会がヒットされました。その中で
面白い言葉がありました。トヨタ自動車会長 奥田 碩理事長の年頭の
あいさつからの引用です。


             ・
             ・
 如水会の名の由来は、改めて申し上げるまでもなく「君子の交わりは
淡きこと水の如し」ということばでありますが、新年は、「年賀状の
やりとりだけ」という「淡き交わり」を再確認する時期でもあります。
転職に関するアメリカの社会学研究では、日常的に交際している
「強いつながり」ではなく、普段の交際はないが、新しい情報を
もたらしてくれる「弱いつながり」のネットワークを広く持っている人が、
転職に成功するという結果が出ております。如水会の「淡き交わり」とは、
まさにこのようなものでありましょう。
             ・
             ・
 人と人のつながりが薄くなったとよく言われます。しかし、ともすれば
「なれあい」「もたれあい」になりがちだった「甘き交わり」ではなく、
ふだんは互いに干渉はしないが、必要なときには助け合うことができる
という「淡き交わり」を、新たな社会連帯のかたちとして再構築していく
ことも、もう一つの大切な「構造改革」なのかも知れません。
             ・
             ・


2002年1月1日  奥田 碩理事長(トヨタ自動車会長)の年頭のあいさつから
posted by student at 11:04| 日記

2007年01月08日

何のために…  マクドナルド化  McDonaldization

 マクドナルドの経営理念とそれを象徴する合理化が、
現代社会のあらゆる場所に浸透していることを指摘した、
アメリカの社会学者ジョージ リッツアが提唱した言葉です。

 同じような店構え、同じような品揃え、同じような
接客、そしてリーズナブルな価格設定…。客としても
敷居が低い店、それがファーストフードであり、コンビニ
であり、そしてスーパーやホームセンター、ドラッグ
ストアーではないかと思います。

 キーワードは安心、納得でしょうか?
 買い物や食事をするには敷居も低く、便利で手軽です。

 組織や手順が明確にルール化(マニュアル化)されて、
そのルールに形式的に順応すれば、シンプルでスムーズに
モノゴトが運ばれる…、合理化のひとつの典型ではないかなあ
と感じます。



 法治国家というのも、一種の合理主義なのかもしれません。
法というルールに支配された社会。法に照らし合わせて
“諾”ならば権利があり、“否”ならばペナルティーがある
社会であり、わかりやすい社会であるとも言えます。

 でも、そのルールが「何のため?」という、本来的な
目的が第一義的でなくなり、本来的な目的を志向している
のかとか、目的達成の為にハード面やソフト面で条件を
満たしているのか…、そういうことが置き去りにされ、
なおざりにされ、法スレスレのボーダぎりぎりに“乗り越える”
ことに興味関心が集中するのも形式化、マニュアル化の
弊害かもしれません。

 「安全運転しているか」ではなくて、取り締まりを
気にしてスピードメータを確認するのもそうですし、実力の
点で心配なので過去問題や受験テクニックで国家試験に
合格して、医師になったり、裁判官になって、人の生命を
左右したり、裁きをする職に就くのも合理主義の故では
ないかと思います。

『何のために…』という、本来第一義的なことが大切に
されないのも合理主義、形式主義、マニュアル社会の
“成れの果”の姿かもしれません。



「学び」というのも、学校の中で形式化され、マニュアル化
されているように思います。心から知りたいという探究心や
冒険心、知的好奇心よりも、成果や評価が目的になって
しまっているような気がします。「過程」を楽しむのでは
なくて「結果」を出すことが求められているような気がします。

 ファーストフード店で味わうことが出来ない“食の醍醐味”
は、ちょっと敷居の高そうな店、でも慣れると居心地の良い
隠れ家のような店で、一癖ありそうなマスターのウンチク
たっぷりの料理に潜んでいるいるような気がします。美味し
そうな雰囲気と共に…

一昨日の自家製の豆腐もスーパーで買った方が便利ですが、
食を楽しむという点では自家製の豆腐に醍醐味があります。

 …何のためにを考えると、いつも自家製の豆腐という
わけにもいきませんが…



 垂水に三井住友銀行の支店があります。
都市銀行は他にりそな銀行とみずほ銀行が
ありますが、一番賑やか(?)なのが
三井住友です。

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 以前は、神戸銀行だったのが、太陽銀行と
合併して太陽神戸銀行、地元神戸の都市銀行
として神戸市内にも支店がたくさんありました。
その後三井銀行と合併して太陽神戸三井銀行
となって、名前がさくら銀行になり、住友銀行
と合併して今は三井住友銀行です。神戸市内
の支店の多くは、みなと銀行が受け継いで、
市や県の窓口までもみなと銀行になって、
もう神戸の地元の都市銀行というイメージでは
ありませんが、垂水の支店は残ったので、
口座もそのまま残しています。

 今は、銀行のイメージカラーが緑を基調に
していますが、昔は赤でした。さくら銀行の
時は桜色で、桜から緑にカラーが変わった
時には随分違和感がありました。でもだいぶ
見慣れたのですが、垂水の商店街を歩いていて、
ふと「昔は赤だったのに・」と思って、古い
通帳を引っ張り出してきました。

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 ついでに、千葉、東京で働いていた時に
使っていた第一勧銀と富士銀行の通帳と
今のみずほ銀行の通帳も撮りました。

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 三井と住友が一緒になって、地元の都市銀が
なくなることも驚きでしたが、一勧と富士の
合併も当時は驚きました。もう銀行再編が
続いた頃から5年ほどの時が流れたんで
すね。

 今、都市銀という表現はしなくなったので
しょうか?15行体制(協和・神戸・埼玉・三和・
住友・第一・太陽・大和・東海・東京・
日本勧業・富士・北海道拓殖・三井・三菱)
から、BANCS加盟13行になった時代とは違い
ますし、ネット銀行も出来て・・・。
posted by student at 09:35| 日記

2007年01月06日

にがり&黒うさぎ、苦労詐欺

 もう1月6日、今年も、もう60分の1が経過して
しまいました。

 正月気分から抜け出さないと駄目なんですが、
昨晩、珍しい銘柄の焼酎を見つけて、思わず購入
してしまいました。奄美の黒糖焼酎で「太古の
黒うさぎ」です。

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 今、黒糖焼酎の「奄美」と栗焼酎の「栗」が
あるのですが、新たに黒うさぎが加わって、この
3連休も焼酎三昧です。(といっても夕食時に
味わう程度ですが・)正月気分から抜け出さないと
駄目なんですが、もう3日延長です。

*

 年末に、「にがり」が健康ブームの中で取り
上げられて一躍有名になった話をゼミ室でしていた
のですが、冷蔵庫に入ったままになっていた
にがりの小瓶があったことを思い出しました。
特に賞味期限があるわけでもなく、 そのまま
冷蔵庫に居座り続けることが出来た“つわもの”
です。

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 昨日、豆乳を買ってきて、自家製の豆腐に挑戦
しました。でも、豆乳の値段を考えると、スーパーで
豆腐を買った方が安いのですが、たぶん密度が
違って 味が段違いだと思います。自分で作った
のを自分が 食べると、どうも贔屓目になって
しまいますが、 “男前”とか、最近の豆腐グルメの
ブランド品と 良い勝負の味ではないかなあ〜と。

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 でも、豆乳の量をカップで量ったり、にがりの量を
調整していると、なんだか理科の実験をしている
みたい でした。

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 以下、つまらないことですが・・・

 「黒うさぎ」と打つと「苦労詐欺」と出て
しまい“打ち間違えた"とやり直すと又
「苦労詐欺」、3度目は、かなり慎重に打った
のですが、やっぱり「苦労詐欺」・・・???
これって私の打ち間違いではなくて、変換ミス(?)
だと気付くのに時間が掛かりました。

 「王」という漢字を出したいのに「おお」と
打って、なかなか気付かなかったり、そういう
経験が多いので、今回も同じ症状かなあ〜と。
posted by student at 10:38| 日記

2007年01月04日

勉強

落語の演目で「勉強」という噺があります。
今、演じる人がいるのか、ちょっとわかりませんが、
先代の金馬のが手元にあります。音源は昭和31年4月
文化放送の「金馬独演会」のようですが、噺の内容は
父親が子供の宿題を見てやる場面で、トンチンカンな
ことばかり言って子供に呆れられるというようなもの
です。

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 義務教育が尋常小学校の4年間で、10歳で奉公に
出されていた時代から、その後延長されて6年間に
なり、戦後は小学校・中学校の9年間になって、
15歳で就職するようになった、その変遷期の話です。
受けた教育の制度が異なる親子の間で、子供が勉強
している内容を理解できずに、トンチンカンな受け
答えが親子の間に繰り広げられるのを面白・可笑しく
扱った噺です。舞台設定は学制改革直後かもしれません。
10年経って、その当時の混乱を思い出して笑える余裕
が出来たからこそ演じられる噺だと思います。


 勉強という言葉の響きも、当時の親の世代と子の世代
では、違ったものなのかもしれないと思います。
勉強が、高い教養を身につけた“大人”を育むような
ニュアンスから、もっと実用的な意味での道具という
ようなニュアンスへと変遷していく過渡期だったのか
かもしれません。
posted by student at 22:46| 日記

2007年01月02日

周辺的 〜 marginal 〜

初・日の出は、近くの神戸・舞子海岸で楽しみました。
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 東の空から光が輝いた瞬間、歓声と拍手が沸きました。


 年末から年始に掛けて、「新日本紀行ふたたび」という
番組が放送されています。その中で“干潟”を扱った番組が
ありました。干潟が埋め立てられて工業用地になった話です。

 干潟、砂浜、雑木林、河川敷・・・、最近は見直されて
いますが、土地の有効利用が推し進められていく中で、
どんどん姿を消していったように思います。

 街や町、村との間にはマージナリーな空間があって、
そこが緩衝的な役目を担ったり、入り会い地だったり・・・。

 今はボーダー(境界)ギリギリまで活用する時代。
“余地”が消え去る時代なのかもしれません。


 
 ミヒャエル・エンデに「モモ」という作品があります。
時間泥棒というのが出てきて、自分たちが作った“時間”
というものに、逆に縛られて追い立てられていくような話。
その危機を助けてくれたのは、ゆっり歩む亀でした。

 こども達から遊ぶ時間や空想力が失われていくストーリー
を、干潟を扱った 新日本紀行ふたたび を見ながら思い
出しました。

 今、エネルギーの問題や、自然破壊のことが環境問題として
取り沙汰されることが多いですが、でも、環境問題の本質的な
ことは、マージナリーな領域を抱え込むことではないかなあ〜
とも思います。余地や遊び、無駄や共有・・・そういうものを
含めての環境が、今、綻んでいるのかもしれないなあ〜と
そんなことを感じながら、テレビを見ていた元旦でした。

 今日の「新日本紀行ふたたび」は阿波踊りでした。
posted by student at 08:10| 日記

2007年01月01日

元旦  アフォーダンス(Affordance)

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明けましておめでとうございます。

 昨日の大晦日、2階の寝室の西側の窓から撮った
2006年最後の太陽が沈みゆく姿です。冬至を
過ぎたこの時期、ちょうど我が家からは、日没が
明石海峡に沈む光景を見ることが出来ます。



アフォーダンス(Affordance) 〜 アフォードする。

 認知科学者のNorman,D.Aがインターフェースの
用語として定着した言葉で、物体の持つ属性(形、
色、材質、etc.)が、物体自身をどう取り扱ったら
良いかについてのメッセージをユーザに対して
発している、というようなニュアンスを持つ言葉
です。『自然に誘(いざな)ってくれる』ような
イメージで捉えると良いのかもしれません。或いは
もっと積極的に、『それ自体が訴える』という
ような意味をも併せ持つ言葉のようにも思います。

 世の中には、アフォーダンスを指向するものと、
逆にアフォーダンスを拒絶するものとがあります。
迷路、非常口、箱根の寄木細工、パソコンのソフト・・・

 人と人との間を考えても、アフォードする
タイプの人もいれば、アフォードしないタイプ
の人もいます。アフォードしないからといって
悪いとは限りませんし、アフォーダンスを悪用
するのは詐欺師になるのかなあ〜とも思います。

 でもアフォードしないモノは、無意識に敬遠
してしまって、食わず嫌いや無関心のままで
終わってしまうことも多いかもしれません。

 アフォーダンス、積極的に取り入れたい概念
だなあ〜と思いながらも、「魅力」そのものの
ような概念でもあり、理屈ではなくて直感に
訴える訴求力を持つことでもあるような気が
します。

 今年の私のキーワードにしようかなあと
考えています。
posted by student at 05:43| 日記