中間試験の最終日です。実習がある日は、事前に実習室で確認や点検、
準備をしているので、結構朝早く行っても慌しく時間が過ぎることが
ありますが、試験中は、ゆっくりと朝のひとときを過ごすことが出来ます。
試験中は駅前のコンビニでヨーグルトを買ったりしていたのですが、
最終日、夕張メロンジュースを買ってしまいました。

ちょっと高かったのですが、「たべごろが飲みごろです。」と、
「熟しぼり」の謳い文句に乗せられて…。さすがに美味しかったです。
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今日から、比較文化論の担当の先生が変わって、イギリス文学が専門の
先生から「髪」の話を聞くことになりました。相変わらず履修者は私
ひとりです。
「髪」って結構、女性を象徴的に表現する時に用いられる ことが多い
ように思います。私の大好きな与謝野晶子の歌に、
その子はたち櫛にながるる黒髪のおごりの春のうつくしきかな
『みだれ髪』
万葉集の時代には妹(伴侶)を、髪や櫛で象徴的に表現 する歌が
いくつか思い当たります。ダイレクトな表現では なく、象徴的に
やわらかく表現する風潮は、現代では、 わかりにくいですし、嫌われる
傾向がありますが、時々 柔らかい表現を耳にすると、落ち着くことが
あります。
逆に西洋では、その髪が性の象徴として、長い髪が そのままの
ストレートの状態というのは、忌み嫌われた ようです。しっかりと
結ったり、被り物をつけたりする ことが女性に求められたのは、
キリスト教の影響が大きい ようです。
18世紀には、大きく髪を結うことが流行ったり、 カツラが
流行ったりしたようで、逆に19世紀に入って 男女平等が謳われる
ようになると、短く切ったショート ヘアーがファミニズムと共に
受け入れられるようになった 時期もあったようです。
ビクトリア朝の頃には「The Angel in the house.」 (家庭の天使)
という表現に象徴されるようにマリア様の ような(Madonnna wise)髪型、
長い髪をしっかり結って、 被り物をすることが女性に求められたとのこと。逆に 長い髪を「ストレートのまま」というのは、たとえば人魚 (魔物)
であったり、誘惑する姿というイメージがあったようです。日本では
人魚というと、アンデルセンの童話の 影響で、良いイメージがありますが、
西洋では、基本的には 魔物のイメージが強いようです。
でも、日本では平安期の上流階級では、ストレートの 長い髪に十二単
(ひとえ)という絵が多いように、長い髪が女性の象徴であった時期が
近世以前まで続いていたように 思います。
こんな話を書きながら、以前NHKで「ラストゴングが 鳴るまで」という
ドラマが放映されていたことを思い出し ました。壇一雄の娘の壇ふみが、
30歳の役柄を演じて、 三面鏡の前で髪に櫛を入れて
その子三十櫛にながるる黒髪のおごりの春のうつくしきかな
と、つぶやく場面があって、印象的でした。
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今、「与謝野る」と、与謝野晶子さんが動詞になって使われています。
与謝野晶子さんの「みだれ髪」から、髪がボサボサで乱れている状態が
「与謝野る」です。
「よさの」という言葉から「与謝野晶子」を連想して、彼女の歌集
「みだれ髪」を更に連想して、「よさのる」=「髪が乱れる」
…これも言ってみれば、「髪」の象徴的な表現でしょうか?
posted by student at 23:32|
日記