2007年09月30日

蘖(ひこばえ)と曼珠沙華

 私が住んでいる神戸市垂水区の北部には、
神戸市西区があります。明治22年の市町村制
で出来た伊川谷、櫨谷、玉津、平野、押部谷、
神出、岩岡の7つの村が今の西区になります。
西区の前は垂水区その前は明石郡でした。
 垂水も同じですが、明治4年の廃藩置県
以降に明石県、姫路県、飾磨県そして兵庫県と
移り変わった経緯を持っています。
 今は、神戸地下鉄沿線沿いの学園都市、西神南、
西南ニュータウンが広がっていますが、伊川、
櫨谷川、明石川の川沿いには、昔ながらの田園
風景が結構残っています。

 昨年は、社の嬉野キャンパスまで毎日、車で
往復して いましたので、伊川、櫨谷川、明石川の
川沿い の風景を毎日車窓から眺めていました。
昨年の 今頃のブログはそんな風景の話題が中心
でした。

 昨日、久し振りに西区に広がる風景を見ました。

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 高和橋、明石川沿いで旧平野村、神出村、
押部谷村の境界になる場所です。この写真は
神出になります。

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この写真は押部谷です。稲刈りが終わって
蘖(ひこばえ)が広がる田んぼです。

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曼珠沙華(マンジュシャゲ、マンジュシャカ)
が土手に真っ赤に咲いていました。


昨年の9月26日のブログのタイトルが曼珠沙華

曼珠沙華の花言葉 : 「悲しき思い出」

仏教で「天空の花」と言う意味で おめでたい
事がおこる 兆しに紅い花が 天から降りてくる
と言われているそうです。

 実は、曼珠沙華の花言葉にはいろいろあって
「情熱」「独立」「再会」「あきらめ」

 この花は墓場で見掛けることも多く、古くから
余り良い イメージの花とはされなかったようです。
(昨年の9月26日のブログから引用)
 
posted by student at 06:08| 日記

2007年09月29日

バイクを追うハト

 気になっている張り紙があります。
元町駅の西口の横断歩道の処で見つけ
ました。


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 いなくなったのは、4月25日の朝
だそうで、この張り紙がいつから張り
出されていたのかはわかりませんが、
カラープリンターで印刷しているようで
色が褪せているのがわかるぐらいなので
“ひと夏”あったのかもしれません。

 このラミネートされた張り紙は
横断歩道の信号機の支柱に両面テープで
貼り付けられているようですが、私が
気付いたのが今週の始めで、今週末にも
もあったので、いたずや清掃からも
逃れて張り出され続けていたようです。

「バイクを追うハト」というタイトルが
目を引きます。また“字”だけだと
何かの宣伝や求人だと思い込んで視界に
入っても読むことはなかったと思いますが、
ハトの写真に「バイクを追うハト」の字が
注意を向けた要因だと思います。

 せっかくデジカメをカバンから取り出した
ので高架下商店街、モトコウも撮りました。
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posted by student at 18:33| 日記

2007年09月26日

西国の東の最果て・播磨国明石郡

 大化の改新の折の[改新の詔」では、五畿内の
西の端は”赤石(あかし)の 櫛淵(くしぶち)"と
なっています。今の須磨・一の谷から塩屋辺りでしょうか?
千年ぐらい前までは屏風ヶ浦が続いて、古代の山陽道は、
国境の山・鉢伏山を迂回していたようです。

 白川から大山寺の辺りを経て伊川沿いに明石までの
経路もあったようですし、横尾山の北の落合辺りから
多井畑、転法輪寺を経て山田川沿いに多門寺、山田村
(現・山陽電車西舞子駅辺り)に到った経路もあった
ようです。また多井畑から下畑を経て塩屋川沿いに
塩屋に到った最短経路もあったようで、時代と共に
経路が変わったのか、国越えの本道と脇道があったのか、
ちょっとわかりません。ただ、須磨の関から、海岸
沿いに福田川河口(現・垂水駅辺り)までの海路が
西国街道のメインだったという説に、私は傾倒して
います。

 五色塚古墳は、西国に到る海路や阿波路の要所を
見下ろす場所にあり、海を支配する豪族の墓だった
とする説に説得力を感じます。五畿内から四国、中国、
九州、そして遠く大陸との交通の「要」となるのが
明石海峡だったように思います。

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 写真は、伊川沿い、前開辺りの稲刈り直前の田んぼ
です。昨年の9月中旬の撮影、毎日嬉野キャンパスまで
通っていた時の通学路でした。前開の伊川沿いから南
方向の学園都市方面を眺めた写真です。中世までの西国
諸国を目指して古山陽道を西へ向かう人も、伊川沿いの
この辺りの景色を見たのかもしれません。ただ前開村は
中世にはまだ開墾されていなかったようで、田畑が広がる
光景ではなかったのでしょうか?
posted by student at 05:31| 日記

2007年09月24日

電車と列車 〜常磐線の記憶〜

電車と列車

 JRや阪神、阪急等の電車に乗ることは多いのですが
列車には最近ご縁がないです。

 以前に千葉の柏や埼玉の三郷に住んでいた時には、
常磐線をお出掛けや通勤の時に利用していましたが、
今から考えると複雑な路線でした。

 各駅停車は、常磐線の始発駅である上野から発着
しておらず、綾瀬から地下鉄千代田線に直通運転して
代々木上原行きが多かったです。下りは利根川の手前の
我孫子まででした。三郷から柏まで、1年か2年の間
通勤で使っていました。

 快速電車は上野から利根川を渡って取手、または
我孫子から成田線に入って成田まで15両の長い車両
でした。三郷から池袋に通っていた時には、松戸で
快速に乗り換えていたのですが、混雑を避けて、
ホームの端、最後尾の一番後ろのドアから乗って
いたのですが、ホームを歩く間に電車を一本見送って
いました。朝のラッシュ時は3分間隔で15両の電車が
超満員で運転していました。

 常磐線には普通列車というのがありました。快速電車が
グリーンに塗装されていましたが、普通列車は横須賀線
と同じような青いラインが入った車両でした。上野から
茨城の土浦や勝田まで運転しており、取手までの停車駅は
快速と同じでしたが、快速電車とは上野駅での発着ホームが
完全に分かれていました。夜遅い時間に普通列車に乗ると
ワンカップとおつまみを買い込で車内で楽しむ人も
少なくなく、その匂いが車内に充満していたことが
記憶に残っています。

 一度だけ利用したことがあるのが仙台行きのスーパひたち、
仙台まで長かったです。帰りは東北新幹線でした。

 あれから10年以上経過して、つくばエクスプレスも
開通して、常磐線も変わっていることと思いますが、
千代田線直通の各駅電車、快速電車、そして普通列車の
3本立てが今でも基本だと思います。神戸に戻る直前に
2階建て車両が導入されて一度だけ乗車しました。
なんだか窮屈だった記憶だけが残っています。

 今はJR神戸線の各駅電車と快速電車で通勤の毎日、
京都や奈良にも電車で行けるので、いわゆる「列車」
には長らくご無沙汰しています。
posted by student at 22:29| 日記

2007年09月23日

海峡の景色とランチ  〜海蛍〜

 我が家の近くに舞子ヴィラというホテルが
あります。明石大橋を間近に眺めることが
できるので、泊まったことはないですが、
年に何度か食事に出掛けます。今年は
お正月に中華、春にランチバイキングで
3回目です。

 昨日、舞子ヴィラの別館8階にある中国
レストラン「海蛍」でランチを食べました。
お昼時で、急遽近所で食べることになったので
デジカメを持っておらず、残念ながら脳裏に
刻み込んだだけです。

 ここは広東料理を楽しめ、別館8階からの
窓の景色は、明石海峡と淡路の島影、行き交う
船を一望することができるので、私のお気に入り
の場所です。

9月、10月は「秋のプリフィクスランチ」
というメニューがお手頃な値段で楽しめます。

http://www.maikovilla.co.jp/restaurants/umihotaru_lunch.html

 海蛍のホームページを見ていると、広東料理、
中国レストランを看板にしているのですが、
「店では、中国産の野菜は、使用しておりません。」
との記載もありました。本場の食材を使うことが
「売り」ではなくて、現在ではマイナスイメージに
なってしまうんですね。

 昨日は、蒸し鶏のサラダ、飲茶3種盛り合わせ、
広東風酢豚、とびこ入りチャーハン、そして
マンゴープリンを頼みました。ひとりひとり
違う料理を頼めますので、少量ずつ多種類の
料理を楽しむことができます。

 昨日は別館で結婚式があり、ランチを楽しんで
エレベータで本館との連絡口がある2階の
扉が開くと、そこでは披露宴が終わって新郎新婦が
お見送りの挨拶で金屏風をバックに立って、
華やいだ雰囲気でした。ジーパンとTシャツ姿で
人を掻け分けて・・・

 今年の1月9日にランチを楽しんだ時に撮った
別館8階からの窓の景色を最後に…

http://itsumi.net/2007maiko/index.html

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posted by student at 06:48| 日記

2007年09月21日

朝日に向かって

 通勤途上で駅に向かう道の真正面に朝日が・

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 朝日に向かって、まっすぐ歩くのも良い
ものでした。

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 垂水駅前、西口のバスターミナル附近です。
ここから見ると、山陽電車の垂水駅に、後光が
射しているようでした。

 太陽を直接撮ることはあまりありませんが、
今朝の写真の主役は朝日でした。
posted by student at 21:57| 日記

2007年09月20日

21歳の秋・9月

 8月15日以来の体組織計のデータ発表です。
夏の前半は猛暑で、「暑気払い」ばかりしていたので
体重が増えてしまいましたが、その後セルフコントロール
をして…

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 体重は62キロ、前回から2.2キロの減量です。

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 体脂肪率は12.4%、増加していますが、体重が
減少しているので、まあまあです。

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基礎代謝量が1478kcal、若干減っています。

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体内年齢21歳、これは今回もキープ♪

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内臓脂肪レベル5.5 これは前回6.0から
減少しています。気になっている値なので一安心!

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筋肉量51.5キロ、前回53.5キロで2キロ
減っています。減量が、ほとんど筋肉の減少という
ことになってしまいます。でも体重62キロの中で
筋肉量が51.5キロもあるのかなあ〜と、我が身を
見ました。

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骨量2.8キロ、これも前回の2.9キロから
減少です。

 体重減で、内臓脂肪も減っているのは嬉しいですが、
でも筋肉も、骨量も減っています。夏バテ気味が続いて
いるのか、スタミナ不足もあるかもしれません。
posted by student at 19:47| 日記

2007年09月19日

鷹取

 須磨、塩屋と続いて鷹取です。
別にJR神戸線の駅紹介をしているわけでは
ないのですが、今日は用事で鷹取駅で途中下車、
用事を済ませて、再び鷹取駅のホームに登ると
ホーム全体が西日に照り輝いていました。

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 以前は、JR鷹取工場があって、貨物の操車場が
あったのですが、今は神戸貨物ターミナル駅
となって、操車場の代わりに広いコンテナヤードに
なっています。貨物駅は、それまでの神戸港駅
の代替だそうで、そう言えば、港のあちこちに
あった貨物の引込み線を最近は見なくなりました。
 突堤もなくなって岸壁が増えて…

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 積まれたコンテナの向こうに、オレンジ色の
塗装された電車が見えました。JR神戸線の電車
ではありません。あの色は大坂環状線でしょうか?
あとオレンジと言えば中央線快速… 

 須磨で快速に乗り換えたのですが、物凄く
混んでいました。久し振りの満員電車に
疲れました。
posted by student at 01:00| 日記

2007年09月18日

塩屋

 日曜日、須磨の帰りに塩屋で途中下車しました。
塩屋駅で降りるのは久し振りです。

 塩屋、地名の由来は、かつてここで製塩した名残と
言われています。塩屋の町は、摂津と播磨の国境の
山・鉢伏山の西の麓から塩屋川沿いに広がっており、
播磨の最東端になります。

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 駅前には、昔ながらの商店街が続いています。

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 かなりシャッターを閉じた店が多かったです。

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 塩屋川沿いには道路があるのですが、駅前商店街は
歩行者用の細い通路だけで、駅前にはバス路線も
ありません。塩屋の北には、ジェームス山の住宅地や
塩屋北町が広がっているのですが、バスは垂水駅や須磨駅
と結んでいます。

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 駅前の商店街を北に抜けると、車が通れる道に
出ます。見渡すとコープ、郵便局、信用金庫があり、
もう少し北に塩屋小学校があります。

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 塩屋は坂の町です。その昔、塩屋村の人々の豊漁と
繁栄を祈ってできた毘沙門天が坂の上にあるのですが、
残暑が厳しく、途中で引き返しました。
posted by student at 01:00| 日記

2007年09月17日

須磨

須磨、私が生まれた場所です。

五畿内の西の端、摂津国八部(やたべ)郡になります。
神戸市が拡大する中で、菟原(うはら)郡と共に
武庫郡に編入されて、神戸市須磨区となります。

 畿内の最西端であったため、須磨の関屋・関守が
あったとされ、また中世には、京の都で流刑になった
者が、軽い刑の場合は遠国ではなくて、畿内の最果て
であった須磨に流されたようです。須磨には
松風村雨堂というのがあるのですが、ここは在原行平が
流刑で須磨に流された時の居跡で、松風・村雨姉妹が
行平の帰京後に彼をしのんだ庵だそうです。

 源氏物語にも“須磨”の巻があり、侘び住まいの場所
でもあったとされ、武庫離宮がありました。今上天皇の
成婚の折に神戸市に下賜されて公園として整備されて
現在は須磨離宮公園となっています。


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 須磨駅は、須磨の西のはずれ、須磨海岸にあります。
ホームから砂浜まで10メートルぐらいです。

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 稜線が、摂津の国と播磨の国の国境の山・鉢伏山
です。ここに境川という小さな川が流れていて、
畿内と西国を分けています。

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 夏の間賑わった須磨海岸も、海の家が撤去されて静か
でした。ゴミを拾うボランティアの方々や、散歩をする
家族連れの姿があって、長閑な砂浜の光景でした。

posted by student at 06:22| 日記

2007年09月16日

夏の「かに料理」

週末の金曜日、神戸サテライトでご一緒しているお2人の
学生と「かに道楽」で食事をしました。

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 阪急三宮の北は、夕方以降に賑やかになる街です。
サンキタ通りは、”これから”の人がたくさん…

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 いくたロード、昔は西国街道から生田神社への参道
だった道かもしれませんが、今は繁華街に埋もれて
います。


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 かに道楽、日和山温泉の金波楼が大坂にカニ料理の
店を出したのが始まりだそうですが、日本海側まで
かにを食べに行くと堪能できますが…遠いです。
昨年は、解禁から最初の週末に城崎に出掛けてかにを
堪能してきました。
http://education.sblo.jp/archives/20061112-1.html
その前は、日帰りで間人(たいざ)近辺まで出掛けて、
丹後のかにを堪能しましたが、ほんとうに遠いです。

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 そんなに高いコースではなかったですが、最初は
半匹のかに

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 カニの炊き込みご飯の用意を脇で始めながら、次は
お刺身でした。

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 焼きが二、網焼きコースだと自分で焼くのですが、
カニ会席だと、あれもこれもで、焼き立てを持ってきて
くれました。

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 脇で炊き込みご飯が炊き上がるので、その香りが
漂ってきました。

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 かにのお汁、結構良い出汁が出ていて、美味しかったです。

 地球温暖化の影響もあるのか、山陰や越前のカニの漁場が
北にシフトしているというニュースを時々耳にしますが
この冬にも、一度は日本海にカニを堪能しに行きたいなあ〜
とトリガーが掛かってしまいました。

 その後、2軒目にも寄ったので午前様になってしまって
三宮では終電間近で、結構ホームが混雑して、垂水駅では
駅構内のタクシーを待つ長蛇の列が出来ていました。




posted by student at 06:12| 日記

2007年09月15日

生と死のアイロニー

写真は、今年の元旦の舞子の浜からの
初日の出です。

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手許にある岩波の漱石全集には日記と断片集が
収められているのですが、あまり目にすることが
ありません。ネット上で公開されている青空文庫には、
漱石の作品がたくさん公開されていますが、日記や
断片はまだありません。

漱石の日記の明治44年11月29日から12月4日
までは、娘ひな子の急死に関して記されています。
葬式の翌日の12月3日の日記には、漱石の心情が
綿々と記されています。


・生きて居るときはひな子がほかの子よりも大切だとも
思はなかつた。死んで見るとあれが一番可愛い様に思ふ。
・表をあるいて小い子供を見ると此子が健全に遊んでゐる
のに吾子は何故生きてゐられないのかといふ不審が起る。

…そういう記述の後に

・昨日は葬式今(日)は骨上げ明後日は納骨明日は
もしするとすれば待夜である。多忙である。しかし凡ての
努力をした後で考えるとすべての努力が無益の努力で
ある。死を生に変化させる努力でなければすべてが
無益である。こんな遺恨な事はない。
・自分の胃にはひゞが入つた。自分の精神にもひゞが
入つた様な気がする。如何となれば回復しがたき哀愁が
思ひ出す度に起るからである。


 漱石の『死を生に変化させる努力でなければすべてが
無益である』という言葉に込められた思いは、その
2年後に小説「こころ」の中で、『先生』から『私』への
手紙の中で綿々と語られたようにも思います。それは
漱石の自分自身へのメッセージでもあったように思います。

 生と死のアイロニー…、「生きることそのもの」を
そのまま喜ぶことができず、死を通して「生」の大切さ
に気づかされることが多いです。「いのちの大切さ」という
言葉を耳にすることが多いですが、でも私自身が他者の
「いのち」を喰らうことによってのみ、自らの「いのち」
を生きながらえている身であることも、常に心に刻みたいと
思っています。
posted by student at 20:18| 日記

2007年09月13日

モノの見方、人の生き方 (続)

 写真は、垂水駅、山陽電車の改札の北側です。
JR垂水駅の東口も隣り合って、人通りが多い
駅前の書店です。

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 カメラの広角で写真を撮ると、かなり広い
範囲を撮影できます。ズームを50mmぐらいにして写真を
撮ると、人間の視覚に近いと言われていますが 、
スナップ写真や気軽な写真は、ズームが広角端に近い方が
自然な感じがします。人間って、結構キョロキョロ風景を
楽しむので、結果的に広い視野を持っているように感じます。



 昨年の9月13日と同じタイトルにしました。この1年で
漱石の「こころ」の読みが変わったわけではありませんし、
私のライフスタイルや「生きざま」も、1年前とほぼ同じ
です。


 今日、9月13日は、明治天皇の大葬があった日です。
(大正元年1912年)そして、その日は、乃木大将が、
妻・静子と共に殉死した日でもあります。

 漱石は、小説「こころ」を通して、乃木大将の死を
語っています。


「私は殉死という言葉をほとんど忘れていました。
平生使う必要のない字だから、記憶の底に沈んだまま、
腐れかけていたものと見えます。妻の笑談を聞いて
始めてそれを思い出した時、私は妻に向ってもし自分が
殉死するならば、明治の精神に殉死するつもりだと
答えました。私の答えも無論笑談に過ぎなかったの
ですが、私はその時何だか古い不要な言葉に新しい
意義を盛り得たような心持がしたのです。

 それから約一カ月ほど経ちました。御大葬の夜
私はいつもの通り書斎に坐って、相図の号砲を聞き
ました。私にはそれが明治が永久に去った報知のごとく
聞こえました。後で考えると、それが乃木大将の永久に
去った報知にもなっていたのです。私は号外を手に
して、思わず妻に殉死だ殉死だといいました。

 私は新聞で乃木大将の死ぬ前に書き残して行った
ものを読みました。西南戦争の時敵に旗をられて以来、
申し訳のために死のう死のうと思って、つい今日まで
生きていたという意味の句を見た時、私は思わず指を
折って、乃木さんが死ぬ覚悟をしながら生きながらえ
て来た年月を勘定して見ました。西南戦争は明治十年
ですから、明治四十五年までには三十五年の距離が
あります。乃木さんはこの三十五年の間死のう死のうと
思って、死ぬ機会を待っていたらしいのです。私は
そういう人に取って、生きていた三十五年が苦しいか、
また刀を腹へ突き立てた一刹那が苦しいか、どっちが
苦しいだろうと考えました。

 それから二、三日して、私はとうとう自殺する
決心をしたのです。私に乃木さんの死んだ理由が
よく解らないように、あなたにも私の自殺する訳が
明らかに呑み込めないかも知れませんが、もしそうだと
すると、それは時勢の推移から来る人間の相違だから
仕方がありません。あるいは箇人のもって生れた
性格の相違といった方が確かかも知れません。私は
私のできる限りこの不可思議な私というものを、
あなたに解らせるように、今までの叙述で己れを
尽したつもりです。

 私は妻を残して行きます。私がいなくなっても
妻に衣食住の心配がないのは仕合せです。私は妻に
残酷な驚怖を与える事を好みません。私は妻に
血の色を見せないで死ぬつもりです。妻の知らない
間に、こっそりこの世からいなくなるようにします。
私は死んだ後で、妻から頓死したと思われたいの
です。気が狂ったと思われても満足なのです。


     「こころ」夏目漱石 青空文庫より
             http://www.aozora.gr.jp/

posted by student at 07:05| 日記

2007年09月12日

号外

 猛暑の余韻が9月の半ばまで続きましたが、
今朝は涼しい朝、久し振りに一駅前のJR三宮駅で
降りて約30分朝の散歩を兼ねて旧西国街道を東へ…

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 イチョウでしょうか?涼しい朝に見ると、黄葉
しているようにも見えました。7時過ぎ、登校前に
犬の散歩をしている子供に追い抜かれました。

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 朝日を受けて葉っぱが輝いていました。
さりげない風景ですが、心から美しいと感じ
ました。



 帰りの電車、途中の三宮駅から乗り込んで
来る方々の手に号外がありました。

 NHKの朝ドラの再放送が中断して午後1時前の
突然のニュースが入ったようです。東証株価の
動きを見ると、お昼前に上がりかけた相場が
午後は反落、ほんとうに突然のニュースだった
ようです。

 4時過ぎのネットのニュースで知って、その後
職場の夕刊は朝日と地元の神戸新聞が一面トップ
の記事になっていました。

posted by student at 21:51| 日記

2007年09月11日

うろこ雲

 朝、混雑する電車が嫌なので、早目に家を出て
います。時々座れます。今朝も座れました。
30分遅く出ると、超満員の電車で身動きも
出来ない状態です。…朝の余裕です。

 通勤電車に20分間揺られて駅の改札を出ると
青空にうろこ雲が…

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 昨晩、梅雨明け以来、はじめてエアコンなし
でした。

 セミの鳴き声が鳥の囀りに変わり、夜には
虫の音、そして入道雲がうろこ雲に…
posted by student at 21:29| 日記

2007年09月10日

街の貌

写真は垂水のセンター街です。

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 垂水駅近辺の商業施設は、西口のジャスコを
中核としたウエスト垂水、東のレバンテ、そして
垂水駅高架下のビエント垂水とモルティたるみ、
そして垂水センター街。駅からちょっと離れますが
マリンピア神戸もあります。

 この垂水センター街は、比較的高齢者の方々が
目立つように思います。それに対してマリンピア神戸は、
垂水センター街に比べれば、かなり年齢層が低いように
感じます。年齢層によって分布が違うようです。

 それほど大きくない垂水の街、でも駅の東口と西口に
それぞれバスターミナルを持ち、JRと私鉄の駅が隣り
合って、東京行きの高速バスも…。ポルトバザールの
集客力もかなり大きいです。

 三宮も、阪急の北側と、センター街辺りと、元町寄り
では街の雰囲気がだいぶ違いますし、元町は、もっと
いろいろな貌を持っているように思います。

 何年か前までは、あまり感じませんでしたが、最近、
垂水の街も、いろいろな貌を持つようになったなあ〜
と感じるようになりました。
posted by student at 21:27| 日記

2007年09月09日

動く歩道

 最近は大阪の街へ出掛けることが少なく
なりました。大阪へ行っても梅田ばかりで
今年はまだミナミへ行っていないような
気がします。

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阪神百貨店の屋上から北の風景です。
JR大坂駅の向こうに巨大なヨドバシカメラの
ビルが目立ちます。

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 動く歩道、ここが日本最初だそうです。
以前は三宮の地下街にもあった記憶が
あるのですが、ふと考えるとそんな形跡も
ないですし、勘違いかもしれません。

 以前、埼玉・三郷に住んでいた時には
時々武蔵野線直通の京葉線を利用していたの
ですが、東京駅の山手線ホームから京葉線
ホームまで10分ぐらい掛かったような
記憶があります。そこに長い長い動く歩道が
あったのは印象的です。

 灘波で地下鉄の乗り換えの時に動く歩道が
あった記憶もあります。それと恵比寿ガーデン
にも…。でも、エスカレータやエレベータと
違って少ないような気がします。

 ふと、カーレーターという乗り物を思い出
しました。地元神戸の須磨浦遊園にあるのが
現在は唯一のようです。カーレータは随分
乗っていません。須磨浦山上遊園にも随分
ご無沙汰しています。

 動く歩道も、日常生活の中でありませんので、
今度利用するのは、阪急電車で梅田に出掛ける
時まで「お預け」です。
posted by student at 06:46| 日記

2007年09月08日

香り

9月に入っても、ここ神戸では暑い日が続いています。
梅雨明け間近の7月下旬頃から、連日就寝時にはエアコンの
お世話になっています。そして枕にはアイスノンを…
エアコンは一番弱く設定するので、頭部の冷やっこい触感
も必要なんです。

 それと、

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 枕元には芳香剤を置いています。ほのかな香りって、
リラックスする雰囲気に誘ってくれます♪

 聴覚、視覚、触覚、味覚そして嗅覚の五感がありますが、
聴覚と視覚は頭で考える余地があるような気がするのに
対して、触覚や味覚、嗅覚は、ダイレクトに心に響く
ような気がします。(味覚や嗅覚に関する仕事をされて
おられる方々は、逆に苦労も多いような気がします。)

 自然な香りを楽しもうと思うと、味覚グルメよりも
高価になってしまいますが、人工的な芳香剤は、安くて
それなりのリラックス効果があります。

 テレビで観る番組のチャンネルを変えたり、BGMで聴く
音楽のCDを選択したり、寝る前に枕元で読む本を本棚の
前で選ぶように、「香り」も部屋ごとに香りの演出をしたり、
季節ごとに変えたり、 気分で変えたり…!
posted by student at 07:24| 日記

2007年09月05日

女性専用車両

JR神戸線の灘駅、プラットホームの表示が
真新しくなりました。

070905_1.jpg

 女性専用車両は平日の朝夕だけなのですが、
昼間や休日もなんだか避けてしまいます。

 朝、JR垂水駅のプラットホームでは
女性専用車両の乗車口に長蛇の行列が出来て
いることがあります。私は、その隣の車両に
乗ることが多くなったのですが、女性専用車両の
隣の車両は、女性の姿がほとんどなく、なんだか
空いているようで「お得感」があります。逆に
女性専用車両は、いつも結構混んでいるように
思います。

 垂水駅では、、階段附近に女性専用車両の
乗車口があるので、階段を駆け上って、更に
車両1両分走ることが、週に1度ぐらいあります。
posted by student at 19:24| 日記

2007年09月04日

襟章

最寄り駅のJR垂水駅です。

070904_1.jpg

 平日の朝晩、通勤で使っています。

 朝、6時40分頃に駅を利用すると、私服に
襟章を付けた人を何人もプラットホームで見ます。

 兵庫駅で降りて、和田岬線の始発、兵庫駅
7:00発の電車に乗り込むようです。

 千葉で働いていた頃は、私もスーツに襟章を
付けていました。襟章をそのままに競合メーカの
製品を買い物した時に、ひとこと店員に冷やかされて
からは、職場を出てから寄り道する時には襟章を
逆に付けするようにしました。

 今、襟章はありませんが、職場では首に
IDカードをぶら下げています。
posted by student at 19:35| 日記